水原秋桜子 (みずはら しゅうおうし)
 明治25年(1892)~昭和56年(1981)88歳。 東京市生れ。「馬酔木」主宰。
 松根東洋城の指導を受ける一方「ホトトギス」に投句。別に「破魔矢」に同人として参加。誓子,青畝,素十とともに四Sと呼ばれる。破魔矢を「馬酔木」と改題,雑詠選者になる。ホトトギスを訣別し馬酔木を主宰。生え抜きの優れた新人を育てた。日本芸術院賞受賞。俳人協会会長歴任。日本芸術院会員。※旧制一高・東京帝大医学部出身
 句集:『葛飾』『新樹』『秋苑』『岩礁』『蘆刈』古鏡』『磐梯』『重陽』『梅下抄』『霜林』『残鐘』「帰心』『玄魚』『蓬壷』『旅愁』『晩華』『殉教』『緑雲』『余生』『蘆雁』  著作:『水原秋桜子全集全21巻』ほか
      葛飾や桃の籬も水田べり
      梨咲くと葛飾の野はとの曇り
      啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
      馬酔木咲く金堂の扉にわが触れぬ
      冬菊のまとふはおのがひかりのみ
      滝落ちて群青世界とどろけり
     
      蟇ないて唐招待寺春いずこ
     

三橋鷹女 (みつはし たかじょ)*旧名:東 鷹女
 明治32年(1899)~昭和47年(1972)72歳。 千葉県生れ。「俳句評論」
 夫の手ほどきで俳句をはじめる。原石鼎に師事。「鹿火屋」に学ぶ。蕪子の「鶏頭陣」ニ拠り東鷹女の名で多佳子、立子,汀女とともに四Tと称され、めざましい活躍をした。三橋鷹女と俳号を変えてから富沢赤黄男の「薔薇」に参加。「俳句評論」顧問に迎えらる。この誇り高き孤高の作家は今も女流俳人の前に聳え立つ。*旧制成田高女出身
 句集:『向日葵』『魚の鰭』『白骨』『羊歯地獄』『撫』『三橋鷹女全句集』
     夏痩せて嫌いなものは嫌ひなり
     暖爐灼く夫よタンゴを踊ろうよ
     この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉
     白露や死んでゆく日も帯締めて
     老いながら椿となつて踊りけり
     白骨の手足が戦ぐ落葉季
     ひまわりかわれかひまわりかわれか灼く
     墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み
     秋の蝉老年壺に生い繁る
     千の虫なく一匹の狂ひ鳴き

 
三橋敏雄 (みつはし としお)
 大正9年(1920)~平成13年(2001)81歳。  東京生れ。
 渡辺白泉,西東三鬼に師事。同人誌「風」に参加。戦後,三鬼の「激流」「断崖」同人。「天狼」「俳句評論」「面」同人。現代俳句協会顧問。第14回現代俳句協会賞・第23回蛇笏賞受賞。
 句集:『まぼろしの鱶』『真神』『畳の上』『長涛』『しだらでん』
       かもめ来よ天金の書をひらくたび
       いつせいに柱の燃ゆる都かな
       共に泳ぐまぼろしの鱶僕のやうに
       昭和衰へ馬の音する夕かな
       油屋にむかしの油買ひにゆく
       絶滅のかの狼を連れ歩く
       鈴に入る玉こそよけれ春のくれ
       いくたびも日落つる秋の帝かな
       あやまちはくりかへします秋の暮
       戦争と畳の上の団扇かな
       石段のはじめは地べた秋祭
       みずからに遺る石斧石鏃しだらでん

 
三好達治(みよし たつじ)
 明治33年(1900)~昭和39年(1964)63歳。 大阪生れ。 詩人。
 梶井基次郎らの「青空」に参加。詩や俳句を発表。俳句は中学時代始め旧制三高時代には千句を作る。昭和詩壇の雄。第14回読売文学賞受賞。日本芸術院会員。*東京帝大仏文科出身
 句集:『柿の花』『木馬の螺子』 詩集:処女詩集『測量船』『定本三好達治全詩集』
        柿うるる夜は夜もすがら水車
        鯖売りと赭土山を越えにけり
        水に入るごとくに蚊帳をくぐりけり
        街角の風を売るなり風車
     
    
水野真由美 (みずの まゆみ)
 昭和32年(1957)群馬県生れ。「海程」「鬣」
 金子兜太に師事。「海程」入会.「吟遊」創刊に参加。「鬣TATEGAMI」編集人。第6回中新田俳句大賞・海程新人賞受賞。
 句集:『陸封譚』『八月の橋』  著作:『猫も歩けば』『小さな神へ』
     春野ゆく連れの一人は老狐なり
     眠る樹覚める樹星を生み出す樹のありぬ
     木のあらば一本の櫂削るべし
     国よりも旗よりも美(は)しき馬の貌

 
三田きえ子 (みた きえこ)
 昭和6年(1931) 茨城県生れ。東京都在住。 「萌」主宰
 昭和43年秋元不死男に師事。のち上田五千石に師事。この両師の死去で平成12年「萌」を創刊。氷海賞・俳句研究賞受賞。
 句集:『嬬恋』『萌葱』『日暮』『九月』『初黄』『藹藹』
     数の子といふ数知れぬ音を噛む
     ふるさとの葱も杖となるころか
     母在らぬ子在らぬ氷小豆かな

 
三谷 昭 (みたに あきら) 
 明治44年(1911)~昭和53年(1978)67歳。 東京都生れ。 
 昭和5年「俳句月刊」「俳句世界」の編集に従事。「走馬灯」「扉」そして東京から「京大俳句」に参加。京大俳句事件に連座検挙される。戦後「天狼」創刊同人、「俳句評論」,「面」,「三角点」の同人となる。現代俳句協会初代会長。第1回現代俳句協会功労賞受賞。*旧制府立五中(現都立小石川高校)出身
 句集:『獣身』『三谷昭全句集』  著作:『現代の秀句』『現代俳句用語表現辞典』(編集) 『俳句史論集』ほか
     夜々の星檸檬をしぼりながらへて
     地虫顔出す古代の微笑漂わせ
     虹追うて軽くなりゆく四肢の骨
     海峡を焦がしとうもろこしを焼く
     暗がりに檸檬浮かぶは死後の景
     窓のない煉瓦の厦と水昏るる
 
 
皆川盤水 (みなかわ ばんすい)
 大正7年(1918)~平成22年(2010)91歳。 福島県生れ。東京都在住。  「春耕」名誉主宰
 大竹孤舟に師事。「かびれ」同人経て、昭和33年「風」同人参加。昭和41年「春耕」創刊主宰。平成20年名誉主宰。俳人協会顧問。第33回俳人協会賞受賞。※日大法学部出身。
 句集:『積荷』『銀山』『板谷』『山晴』『寒靄』『随處』『暁紅』『高幡』『山海抄』『花遊集』 著作:『山野憧憬』『芭蕉と茂吉の山河』

     月山に速力のある雲の峰
     獅子舞がすたすたゆけり最短路
     鰻食ふカラーの固さもてあます
     色鳥や塩の店ある峠口
     初富士に駘蕩として立ちつくす


 
皆吉爽雨 (みなよし そうう)
 明治35年(1902)~昭和58年(1983)81歳。 福井県生れ。東京都在住。 「雪解」主宰
 大橋桜坡子の指導を受けホトトギスに投句。「山茶花」創刊,編集責任者ニなる。昭和21年「雪解」創刊主宰。俳人協会副会長を務める。第1回蛇笏賞受賞。*旧制県立福井中学(現・県立藤島高校)出身
 句集:『雪解』『寒林』『雲板』『緑蔭』『遅日』『雁列』『寒析』『三露』『泉聲』『花幽』『聲遠』『皆吉爽雨遺句集』
     がうがうと深雪の底の機屋かな
     雀とぶそれも光茫日向ぼこ
     梳きこぼすうしろは知らず木の葉髪
     帯にさす鬱金の一枝さくら狩
     もみぢ散る一樹もて黄にくれなゐに

 
宮坂静生 (みやざか しずお)
 昭和12年(1937)長野県生れ。 「岳」主宰・「件」
 高校時代から俳句をはじめる。「竜胆」「若葉」えを経て、藤田湘子に師事。「鷹」に投句。同人会長を10年務める。昭和53年「岳」を創刊。平成24年現代俳句協会第6代目会長に就任。平成30年会長を退き、特別顧問に就く。第45回現代俳句協会賞・第1回山本健吉賞(評論)・第58回読売文学賞(随筆・紀行賞)・第11回俳句四季大賞・第15回みなづき賞受賞。信州大学名誉教授(国文学)
 句集:『青胡桃』『山開』『樹下』『春の鹿』『火に椿『山の牧』『鳥』『宙』『全景宮坂静生』『雛土蔵』 著作:『俳句からだ感覚』『俳句地貌論』『語りかける季語 ゆるやかな日本』『季語の誕生』『季語体系の背景』ほか
     濁りこそ川のちからや白絣
     良寛の手毬は芯に恋の反古
     はらわたの熱きを恃み鳥渡る
     撃たれんと群をはなれて鴨撃たる
     あかんぼが柱をのぼる涅槃西風
     雛ふたつ孵りわが家の燕の日

 
 
宮入 聖 (みやいり ひじり)
 昭和22年(1947) 長野県生れ。
 父は、人間国宝(刀匠)宮入行平。学生時代「雲母」に投句。「雲母」「青樹」「豈」。俳句研究の第1回五十句競作で佳作第1席・第1回現代俳句協会新人賞受賞。
 句集:『聖母帖』『千年』『遊非』『黒彦』『月池』『鍾馗沼』  著作:『飯田蛇笏』『火褥 刀工宮入行平とミヨ子の生涯』
     ふりいでし雨の花火の音すなり
     吊されて土用の葬の羽織透く
     噴水とまりあらがねの鶴歩み出す
     滴りや性欲巌のごときもの
     月光ハイヤー表より死者裏より恋
     春琴と名づけし猫が恋にゆく
      

 
水谷砕壺 (みずたにさいこ)
 明治36年(1903)~昭和42年(1967)63歳。 徳島県生れ。
 赤黄男、草城,三鬼らとともに新興俳句作家として名を知られた。戦前「旗艦」「琥珀」の発行編集人として新興俳句運動の車軸の役割を果したが、この人の情熱と資力に負うところが多い。*関西学院高商学部(現・関西学院大学)出身
 句集:『水谷砕壷句集』
     
     琅かんにきさらぎの光(かげ)ふりそそぐ
     灰色の挽歌の冬は去りゆけり


 
三好潤子 (みよし じゅんこ)
 大正15年(1926) ~昭和60年(1985)58歳。大阪府生れ。 「群蜂」「天狼」
 榎本冬一郎に俳句の手ほどきを受ける。「群蜂」同人。昭和28年「天狼」に入会.。山口誓子に師事。41年同人。第1回天狼コロナ賞受賞。*大阪女学院出身
 句集:『夕凪橋』『澪標』『色』ほか
      すぐ他人なり炎天に別れしひと
      洋上に月あり何の仕掛けもなく
      雛飾りゐて三界に家は無し
      香水の香を脱ぎたけれ男来て



宮津昭彦 (みやつ あきひこ)
 昭和4年(1929)~平成23年(2011)81才没。神奈川県生れ。 「濱」
 大野林火に師事。昭和20年「濱」入会。同27年同人。平成14年から平成20年まで俳人協会理事長を務めた。濱賞・濱同人賞・第37回俳人協会賞受賞。※旧制横浜商工出身。
 句集:『積雲』『来信『暁蜩』『遠樹』『花蘇枋』
   霜旦の鶏鳴悲鳴にも似たり
   ばらりと一村大粒に陽と金盞花
   暗き坂林檎売る燈のなかなか無し
   破芭蕉大きな影を浴びせけり
   ゆるやかに光琳模様泉より
 
 
宮脇白夜 (みやわき はくや)
 大正14年(1925)~平成21年(2009)83歳。 広島県生れ。東京都在住。  「方舟」主宰
 中村草田男に師事。昭和21年「万緑」入会。長期中断後、41年再入会。編集長を務めた。平成3年「方舟」創刊、主宰。慶大丘の会会長。万緑賞受賞。※慶応義塾大経済学部出身。
 句集:『方舟』『天使』『魚紋』『緑酒』『右近』『寝園』
     受難曲聴く夏座敷開け放ち
     角砂糖二つ寄り添ひ聖夜待つ
     日向ぼこ壁にも笑窪あるごとし
 
水原春郎 (みずはら はるお)
 大正11年(1922)~平成28年(2016)94歳。 東京都生れ。 「馬酔木」名誉主宰
 父、秋櫻子のあとを継ぎ昭和59年「馬酔木」 を継承主宰。平成23年限りで主宰を退く。俳人協会顧問。聖マリアンナ医科大学名誉教授。※慶應義塾大学医学部出身。 句集:『蒼瀧』『寿(いのちなが)』
      花冷や吾に象牙の聴診器
      ただ歩くのみにてぼろ市尽きにけり
      鯛焼は尾鰭が勝負並みて買ふ
     
 
皆吉 司 (みなよし つかさ)
 昭和37年(1962) 東京都生れ。 「船団」・「雪解」
 祖父は俳人の皆吉爽雨。「雪解」同人。「船団」所属。昭和59年雪解新人賞受賞。 
 句集:『火事物語』『燃えてゐるチェロ』『夏の窓』『赤い絵馬』『石の翼』  著作:『多感俳句論』『少年出記ー私の中の寺山修司』『どんぐり舎の怪人』
     いまダリは何をいてゐる昼顔よ 
     門柱に朝刊置かれ火事終る
     火事跡を見つつ少年縄跳びす

 
 
三宅やよい (みやけ やよい)
 昭和30年(1955) 兵庫県生れ。 「船団」
 句集:『玩具帳』『駱駝のあくび』    
      青嵐おお法螺吹きをくつがえす
      木に登る少年は老い夏木立
    
 
三村純也 (みむら じゅんや)
 昭和28年(1953) 大阪府生。兵庫県在住。 「山茶花」主宰・「ホトトギス」
 下村非文、清崎敏郎に師事。昭和48年「山茶花」入会。平成9年「山茶花」継承。第26回俳人協会新人賞受賞。
 句集:『Rugby』『蜃気楼』『常行』『觀自在』
     蜃気楼将棋倒しに消えにけり
     狼は滅び木霊は存(ながら)ふる
     蓼咲いて余呉の舟津は杭一つ
     振米(ふりごめ)の音の止みたる深雪かな
 
 
宮田正和 (みやた まさかず)
 昭和8年(1932) 三重県生れ。 「山繭」主宰
 沢木欣一、細見綾子に師事。昭和39年「風」入会。昭和46年同人。昭和55年「山繭」創刊主宰。元三重県俳句協会会長。第21回角川俳句賞・昭和51年風賞・平成19年三重県文化大賞・平成30年三重県県民功労者(文化功労)表彰。
 句集:『伊賀山中』『積殖』
     菊苗に針千本の早苗かな
     萍にほつほつと雨ざざと雨
     断崖に波音ばかり沖縄忌
     ナビの言ふ方へは折れず鰯雲
     誰も知らず秋蝉の声止みにけり

俳句舎の俳人名鑑

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