櫂 未知子 (かい みちこ)
 昭和35年(1960) 北海道生れ。東京都在住。  「銀化」「群青」
 平成2年大牧広の「「港」入会。平成10年中原道夫の「銀化」に参加、同人。第2回中新田俳句大賞・第18回俳人協会評論新人賞・第57回俳人協会賞・第10回小野市詩歌文学賞受賞
 句集:『貴族』『蒙古班』『櫂未知子集』『カムイ』  著作:『季語の底力』『食の一句』
     春は曙そろそろ帰ってくれないか
     白梅や父に未完の日暮あり
     佐渡ヶ島ほどに布団を離しけり
     雪まみれにもなる笑つてれるなら 
     広島忌振るべき塩を探しをり   
 
    
 
柿本多映 (かきもと たえ) 
 
 昭和3年(1928) 滋賀県生れ。 無所属
 赤尾兜子、橋閒石、桂信子に師事。「渦」同人を経て「白燕」「草苑」「犀」同人。第5回渦賞・滋賀県出版文化賞・ 第35回現代俳句協会賞・草苑賞・第5回桂信子賞・第29回詩歌文学館賞・第17回現代俳句大賞受賞。
 句集:『夢谷』『蝶日』『花石』『白體』『粛祭』『仮生』  著作:『時の襞から』『季の時空へ』ほか
     真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ
     我が母をいぢめて兄は戦争へ
 
     わたくしが昏れてしまへば曼珠沙華
 
     音楽のはじめは日光菩薩かな
     馬を見よ炎暑の馬の影を見よ
     こつあげやほとにほねなきすずしさよ
     次の世へ蝿取蜘蛛を連れて行こ
     湖へ着く鯰のやうな夜汽車かな
     飯を盛る冬の菫になり損じ

 
 鍵和田秞子 (かぎわだ ゆうこ)                        
 
 昭和7年(1932) 神奈川県生れ。東京都在住。 「未来図」創刊主宰
 中村草田男に師事。「萬緑」同人を経て昭和59年「未来図」を創刊。鴫立庵22世庵主。俳人協会顧問。萬緑新人賞・萬緑賞・第1回俳人協会新人賞・第44回俳人協会賞・第56回毎日芸術賞受賞。
 句集:『未来図』『浮標』『飛鳥』『武蔵野』『光陰』『風月』『胡蝶』『百年』『濤無限』
     すみれ束解くや光陰こぼれ落つ
 
     未来図は直線多し早稲の花 
     鳥渡る北を忘れし古磁石
     少年の瞳して阿修羅のしぐれをる
 
     生まざりし身を砂に刺し蜃気楼
     白といふ激しき色を花菖蒲
     被爆被曝悼みをしろばなさるすべり


片山由美子 (かたやま ゆみこ)
 
昭和27年(1952) 千葉県生れ。東京都在住。 「狩」
 鷹羽狩行に師事。昭和55年「狩入会。同人。第5回俳句研究賞・第6回俳人協会評論新人賞・第21回俳人協会評論賞・第52回俳人協会賞受賞。
 句集:『雨の歌』『水精』『天弓』『風待月』『香雨』  著作:『現代俳句女流百人』『俳句を読むということ』
ほか
      まだもののかたちに雪の積もりをり
      ばさと落ちはらはらと降り松手入
      カステラに沈むナイフや復活祭
      朝ざくら家族の数の卵割り
      断崖をもつて果てたる花野かな
       
   
 
 桂 信子 (かつら のぶこ) 
 大正3年(1914)~平成16年(2004)90歳。 大阪府生れ。 「草苑」創刊主宰 
 日野草城に師事。「旗艦」「青玄」等を経て、昭和45年「草苑」創刊主宰。第1回現代俳句女流賞・第26回蛇笏賞・第11回現代俳句協会大賞・平成16年第45回毎日芸術賞・大阪芸術賞受賞。 現代俳句協会顧問。※旧制大阪府立大手前高女(現大手前高校)
 句集:『月光抄』『女身』『晩春』『新緑』『初夏』『緑夜』『草樹』『樹影』ほか
      ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ
   
      ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜
      やはらかに身を月光のなかに容れ
      ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
      窓の雪女体にて湯をあふれしむ
      藤の昼膝やはらかくひとと逢ふ
      鯛あまたゐる海の上 盛装して
     
      たてよこに富士伸びてゐる夏野かな
 
      忘年や身ほとりのものすべて塵
      冬泉に一花となりてわれの舞ふ

 
加藤郁乎 (かとう いくや)
 昭和4年(1929)~平成24年(2012)83歳。 東京都生れ。 
 父、加藤紫舟より俳句を学ぶ。日野草城、西東三鬼,高柳重信の影響を受ける。「黎明」「俳句評論」「ユニコーン」同人。第6回室生犀星詩人賞・第18回日本文芸大賞・平成19年文化庁長官賞・第11回山本健吉文学賞受賞。※早大文学部演劇科出身。
 句集:『球体感覚』『えくとぷらすま』『形而情学』『牧歌メロン』『出イクヤ記』『微句抄』『佳気颪』『秋の暮』『江戸櫻』『粋座』『初音』『加藤郁乎俳句集成』『實』『晩節』ほか  著作:『市井風流 俳林随筆』『俳の山」なみ』ほか多数。詩集:『終末領』『荒れるや』『ニルヴァギナ』『詩篇』 ほか多数    
      冬の波冬の波止場に来て返す
      切株やあるくぎんなんぎんのよる
      天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし
 
      一満月一韃靼の一楕円
      とりとめのぶうらめんこりい子供屋のコリドン
 
      昼顔の見えるひるすぎぽるとがる
      別嬪の降つて来さうなゆだちかな      
      伊勢るまで待ちて業平蜆かな
 
     
 
加藤楸邨 (かとう しゅうそん)
 
 明治38年(1905)~平成5年(1993)88歳。東京生れ。  「寒雷」創刊主宰
 秋桜子に師事。昭和10年「馬酔木」同人。昭和15年「寒雷」創刊,多くの俊秀を輩出。人間探求派と呼ばれる.第2回馬酔木賞・第2回蛇笏賞・第1回現代俳句協会大賞・第2回詩歌文学館賞受賞。※東京文理大(現筑波大学)出身
 句集:『寒雷』『』『穂高』『まぼろしの鹿』『砂漠の鶴』『火の記憶』『野哭』『起伏』『山脈』『怒涛』『雪後の天』『山脈』『吹越』ほか  著作:『加藤楸邨全集全14巻』ほか
     かなしめば鵙金色の日を負ひ来
     鰯雲人に告ぐべきことならず
     蟇(ひきがえる)誰かものいへ声かぎり
     火の奥に牡丹崩るるさまを見つ
     雉子の眸のかうかうとして売られけり
     鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる
     飴なめて流離悴むこともなし
     死ねば野分生きてゐしかば争へり
     落葉松(からまつ)はいつめざめても雪降りをり
 
     原爆図口あくわれも口あく寒
     まぼろしの鹿はしぐるるばかりなり
     ふくろふに真紅の手毬つかれをり
     百代の過客しんがり猫も子も
 
 
加藤知世子 (かとう ちよこ) 
 明治42年(1909)~昭和61年(1986)76歳。 新潟県生れ。東京都在住。 「寒雷」
 加藤楸邨の夫人。昭和15年「寒雷」創刊に参加。21年同人。「女性俳句」発起人、編集人を務めた。
 句集:『冬萌』『朱鷺』『大麻由良』『夢たがへ』『飛燕草』『頬杖』『加藤知世子全句集』
      馬は未明の泉のむ鈴りんりんと
      吾子着て憎し捨てて美しアロハシャツ
      奥嶺奥嶺へ雪降るような繭組む音
      夫がき蜂がくすたこらさつさとすさるべし
 
      ベートーベン終りさみしき茶立蟲
      

角川源義 (かどかわ げんぎ)*本名 げんよし 
 
 大正6年(1917)~昭和50年(1975)58歳。 富山県生れ。東京都在住。  「河」創刊主宰
 14歳の時、伊東月草に師事。「草上」に入会のち金尾梅の門の「古志」「季節」同人。昭和33年「河」を創刊主宰。総合俳句雑誌「俳句」を昭和27年に創刊。俳句文学館の建設に貢献。読売文学賞受賞。※國學院大学国文学科出身
 句集:『ロダンの首』『秋燕』『神々の宴』『冬の虹』『西行の日』
       ロダンの首泰山木は花得たり
       冬波に乗り夜が来る夜が来る
       墓洗ふ汝のとなりは父の座ぞ
       まづ父の雪の足型につきて来よ
       花あれば西行の日とおもふべし
    
       月の人のひとりとならむ車椅子

 
 
金子兜太 (かねこ とうた)
 大正8年(1919)~平成30年(2018)2月20日“死ぬはずのない金子兜太”が98歳で突然逝ってしまった。嗚呼 已矣哉。 埼玉県生れ。 「海程」創刊主宰・「件」 
 加藤楸邨に師事。全国学生俳誌「成層圏」を経て、昭和16年「寒雷」に投句、同人。戦後、「風」に参加。昭和37年「海程」創刊。第3代現代俳句協会会長を歴任、のち名誉会長を務める。父は埼玉県文化功労者、皆野町名誉町民第1号の俳人で医師の金子伊昔紅。第5回現代俳句協会賞・第11回詩歌文学館賞・NHK放送文化賞・日本芸術院賞・第1回現代俳句大賞・第36回蛇笏賞・正岡子規国際俳句賞大賞・第51回毎日芸術賞特別賞・第2回小野市詩歌文学賞・第58回菊池寛賞・平成27年度朝日賞受賞。日本芸術院会員・文化功労者・平成21年熊谷市名誉市民・皆野町名誉町民。※旧制水戸高・東京帝大経済学部出身。
 句集:『少年』『金子兜太句集』『蜿蜿』『暗緑地誌』『早春展墓』『金子兜太全句集』『旅次抄録』『遊牧集』『猪羊集』『詩経国風』『皆之』『黄』『両神』『東国抄』『日常』 著作:『今日の俳句』『定型の詩法』『わが戦後俳句史』『定住漂泊』『遠い句 近い句』『荒凡夫 一茶』『語る 兜太ーわが俳句人生』(聞き手;黒田杏子)ほか
        
      曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
      水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る
      原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む
      
      銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく
      湾曲し火傷し爆心地のマラソン
      華麗なる墓原女陰あらわに村眠り
      果樹園がシャツ一枚の俺の孤島
      どれも口美し晩夏のジャズ一団
      霧の村石を投(ほ)らば父母散らん
      三日月がめそめそといる米の飯
      人体冷えて東北白い花盛り
      谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな
      暗黒や関東平野に火事一つ
      ぎらぎらの朝日子照らす自然かな
      梅咲いて庭中に青鮫が来ている
      夏の山国母いてわれを与太と言う
      冬眠の蝮のほかは寝息なし
      酒止めようかどの本能と遊ぼうか
      よく眠る夢の枯野が青むまで
      おおかみに螢が一つ付いていた
      合歓の花君と別れれうろつくよ
      左義長や武器という武器焼いてしまえ
              
   
 
 
金田咲子 (かなだ さきこ)
 昭和23年(1948) 長野県生れ。 「郭公」
 飯田龍太に師事。「雲母」同人。「白露」同人を経て「郭公」同人。
 句集:『全身』『平面』
      極月の空青々と追ふものなし
      遠くからくるやすらぎにいぬふぐり
      花八ツ手隣家なまなましくありぬ
 
      木の上に人がゐさうな九月なる
 

 
 鎌倉佐弓 (かまくら さゆみ)
 昭和28年(1953) 高知県生れ。埼玉県在住。  「吟遊」
 能村登四郎、林翔に師事。元「沖」同人。夏石番矢の「吟遊」編集同人。沖珊瑚賞・第56回現代俳句協会賞受賞。
 句集:『潤』『水の十字架』『天窓から』『走れば春』
     サイネリア待つといふこときらきらす
 
     女身とは光をはじく岬かな
 
     ごうごうと鳴る産み月のかざぐるま
     この母の骨色の乳ほとばしれ
     大根の奥までぎゅっとわが祖国
 
 
河原枇杷男  (かわはら びわお) 
 昭和5年(1930) 兵庫県生れ。 無所属
 永田耕衣に師事。「琴座」「俳句評論」同人。昭和59年「序曲」創刊主宰。5年後終刊。第3回俳句評論賞・第2回鬣TATEGAMI俳句賞・第4回正岡子規国際俳句賞受賞。
 句集:『烏宙論』『蜜』『閻浮提者』『流潅頂』『訶梨陀夜』『蝶座』『河原枇杷男全句集』ほか
     野菊まで行くに四五人斃れけり      
     身の中のまつ暗らがりの螢狩り
 
     在る闇は蟲の形をして哭けり
 
     天の川われを水より呼びださむ
     色鳥や何れも暗き木の眉間
 
     花吹雪天の管弦かすかにも
 
     露一個頭蓋のなかの鈴一個
     

  川端茅舎 (かわばた ぼうしゃ)
 明治30年(1897)~昭和16年(1941)43歳. 東京生れ。
 虚子に師事。大正4年18歳で「ホトトギス」初入選。昭和9年「ホトトギス」同人。*川端龍子の実弟。※旧制独逸協会中学校出身
 句集:『華厳』『白痴』『定本川端茅舎句集』
 
       白露の阿吽の旭さしにけり 
       金剛の露ひとつぶや石の上
       しんしんと雪降る空に鳶の笛
       春の夜や寝れば恋しき観世音
       ひらひらと月光降りぬ貝割菜
       約束の寒の土筆を煮て下さい
 
       朴散華即ちしれぬ行方かな
       
      
 
加藤かけい (かとう かけい)
 明治33年(1900)~昭和58年(1983)83歳。 愛知県生れ。「環礁」創刊主宰.「天狼」同人
 大須賀乙字に師事。のち虚子に師事。大正5年「ホトトギス」入会。のち「馬酔木」に移り同人。昭和23年誓子の「天狼」に同人参加。昭和26年「環礁」創刊主宰。昭和9年馬酔木賞受賞。実兄は俳人の加藤霞村(「牡丹」主宰)。
 句集:『夕焼』『浄瑠璃』『淡彩』『荒星』『生涯』『捨身』『甕』『種』『愚』『塔』『菫』『山椒魚』『定本加藤かけい俳句集』『遊幻愚草帖』『下駄ばき詩人』  著作:『きしめん随筆』
        野火悲し十国峠超ゆる夜を
        からたちの花より白き月いづる
        黒揚羽わがふところで媼と化す
    
        麦爛熟太陽は火の一輪車
 
        仏法僧月は臥床の下に照る
 
 
加藤三七子 (かとう みなこ)
 大正14年(1925)~平成17年(2005)79歳。 兵庫県生れ。「黄鐘」主宰。
 阿波野青畝に師事。「かつらぎ」同人。昭和52年「黄鐘」創刊。かつらぎ推薦作家首位賞・第38回俳人協会賞受賞。※兵庫県立龍野高女(現龍野高校)出身
 句集:『万華鏡』『華鬘』『蛍籠』『恋歌』水無月遍路』『朧銀集』『兎結び』『無言詣』
 
     春愁の昨日死にたく今日生きたく
 
     まばたきて人を戀せる傀儡かな
  
     抱擁を解くが如くに冬の涛
     朧銀の水のめぐりて初櫻
     ふつつりと切れたる春の虹太し
 


 
加藤瑠璃子 (かとう るりこ) 
 昭和11年(1936) 東京都生れ。 「寒雷」
 楸邨に師事。昭和39年「寒雷」入会、同人。平成8年より寒雷集選者。現代俳句協会顧問。平成2年青山賞受賞。
 句集:『白牡丹』『蒼き隠岐』『吊し雛』
     立ち止まること多かりき野分かな
 
     終戦日父踏みし地を踏みゐたり
     菜の花の中にゐる菜の花をみて


 
 角川春樹 (かどかわ はるき)
 
 昭和17年(1952) 富山県生れ。東京都在住。  「河」主宰 
 父は角川源義。主宰、角川照子をたすけ「河」の副主宰を永く努め、のち主宰を継ぐ。俳人協会顧問。57年芸術選奨文部大臣新人賞。第6回俳人協会新人賞・第35回読売文学賞・第24回蛇笏賞・第5回山本健吉文学賞・第7回山本健吉文学賞受賞。
 句集:『カエサルの地』『信長の首』『流され王』『補陀落の径』『猿田彦』『一つ目小僧』『花時雨』『花咲爺』『存在と時間』『海鼠の日』『JAPAN』『白鳥忌』『夕鶴忌』ほか
      黒き蝶ゴッホの耳を殺(そ)ぎに来る
      向日葵や信長の首斬り落とす
      補陀落といふまぼろしに酔芙蓉
      高千穂の大根を引きに猿田彦
      いま過ぎしもののひかりや猫柳
      ひと亡くて山河したゝる大和かな

 
 
角川照子 (かどかわ てるこ)
 昭和3年(1928)~平成16年(2004)75歳。 東京都生れ。 「河」名誉主宰
 夫、角川源義没後「河」を継承主宰。のち名誉主宰に。第11回現代俳句女流賞受賞受賞。
 句集:『幻戯微笑』『阿吽』『花行脚』『秋燕忌』『すばる』

      重ね着て吾も阿吽の間(あひ)に在る
      京の塚近江の塚や花行脚
      新巻の塩のこぼれし賑はひや
      もう一度つばな流しに立ちたしよ

 
 
金尾梅の門 (かなお うめのかど) 
  明治33年(1900)~昭和55年(1980)80歳。 富山県生れ。 「季節」主宰
 大須賀乙字に師事。「石楠」「獺祭」「涛」「草上」を経て昭和22年「古志」(のち「季節」に改名)創刊主宰。
 句集:『晨水居句集』『古志の歌』『鳶』『鴉』『鴎』『鳰 』『金尾梅の門全句集』
      ふところに入日のひゆる花野かな
      みどり児のこぶしに寒ンの極まりぬ
      白菊に恍惚と藁かかりけり
      とびからすかもめもきこゆ風ゆきげ
      冬山の日向日かげの檜(ひ)の匂ひ
 
 
金子皆子 (かねこ みなこ)
 大正14年(1925)~平成18年(2006)81歳。 埼玉県生れ。 「海程」同人。
 夫は俳人の金子兜太。「風」に投句,第1回風賞受賞。「海程」創刊とともに発行事務を担当.第7回海程賞・第35回現代俳句協会賞・第1回日本詩歌句大賞受賞。※旧制熊谷高女(現埼玉県立熊谷女子高校)出身
 句集:『むしかりの花』『黒猫『花恋』『下弦の月』
      雑木山ひとつてのひら天邪鬼
      まんさく咲きしか想いは簡単になる
      むしかりの花白花白花オルゴール

      愛という遠流の地あり寒紅梅
      下弦の月壇の花の細細(ささささ)
      

神尾久美子(かみお くみこ)
 大正12年(1923)~平成26年(2014)91歳。 福岡県生れ。宮崎県在住。 「椎の実」主宰
 野見山朱鳥、飯田龍太に師事。平成10年「椎の実」創刊。夫は俳人の神尾季羊。第5回菜殻火賞・第6回四誌連合会賞・第5回雲母賞・第3回現代俳句女流賞・昭和55年宮崎県文化賞受賞。※旧制福岡県立京都高女出身。
 句集:『掌』『桐の木』『中啓』『山の花』
 
     雪催ふ琴になる木となれぬ木と
     野火山火柩に古きものはなし
     閑居とは片隅に置く白日傘
     人住むを大地といへり石蕗の花
 
 
神蔵 器 (かみくら うつわ)
 昭和2年(1927)~平成29年(2017)90歳。 東京都生れ。 「風土」名誉主宰
 石川桂郎に師事。「壺」「麦」を経て昭和37年「風土」入会。昭和54年「風土」主宰を継承。俳人協会顧問。第41回俳人協会賞・第10回俳句四季大賞受賞。※明治大学文芸科に学ぶ。
 句集:『二代の甕』『有今』『熊ヶ谷』『木守』『心後』『幻』『貴椿』『月の道』『波の花』『氷輪』『月虹』
  
     朧かな一と夜かぎりの海鼠飼う
     鳥帰るうつらうつらと大欅
     一本の村を出て行く月の道
     凍星を源流にして大河かな
     寒椿いつも見えゐていつも見ず

 
川崎展宏 (かわさき てんこう)
  昭和2年(1927)~平成21年(2009)82歳。 広島県生れ。東京都在住。  「寒雷」・「貂」名誉代表
 加藤楸邨に師事。「寒雷」に投句.同人となる。森澄雄の「杉」創刊に同人として参加。昭和55年同人誌「貂」を創刊.第42回読売文学賞・第13回詩歌文学館賞・第13回俳人協会評論賞受賞。俳人協会顧問。※東京帝大文学部国文学科・同大学院出身。
 句集:『葛の葉『義仲』『観音』『夏』『秋』『冬』『春 川崎展宏全句集』  著作:『高濱虚子』ほか
      鎌倉よりこぼれ出でたる落椿
      「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク
      日に焦げて天平勝宝のひばり消ゆ
 
      鶏頭に鶏頭ごつと触れゐたる
      すみれの花咲く頃の叔母杖に凭(よ)る
      桜貝大和島根のあるかぎり
      塗椀が都へのぼる雪を出て
 
      
 
 加倉井秋を (かくらい あきお)
  明治42年(1909)~昭和63年(1988)78歳。 茨城県生れ。東京都在住。 「冬草」主宰
 冨安風生に師事。「若草」編集長。戦後「諷詠派」を発行。「冬草」の雑詠選者を経て主宰を継承する。第24回俳人協会賞受賞。※東京美術学校建築科(現東京芸術大)出身
 句集:『胡桃』『午後の窓』『真名井』『』『陰愛』『風祝』ほか
    折鶴のごとく葱の凍てたるも
    むらさきの褪せしがごとく昼寝ざめ 
    海月赤し曲馬の天幕のどこかの色
 
   
加藤鎮司 (かとう ちんじ)
 大正13年(1924)~昭和63年(1988)64歳。愛知県生れ。 「橋」「俳句評論」
 内藤吐天に師事。「早蕨」「俳句評論」同人。昭和52年同人誌「橋」を創刊編集。
 句集:『日照雨』『断崖』
      早く来よ抱かん深雪に足踏みして
      百日紅手を組めば足淋しがり
      枕辺に彳ちて去りしは水仙か
 
      四五人に枯野も空もひろすぎる
  
 
諧 弘子 (かのう ひろこ)
 大正11年(1922)~平成23年(2011)89歳。 東京都うまれ。  「野の会」
 楠本憲吉に師事。伊丹三樹彦の「青玄」を経て「野の会」創刊に参加。無鑑査同人。第2次「青玄」にあって一際注目を浴びた新人作家であった。「野の会」創刊号の巻頭作家もこの人。青玄新人賞受賞。
 句集:『牧神』『兎の靴』
     このまま眠れば多摩川心中犬ふぐり
     皿割れば百の凶器となる寒夜
     三月河口に棹さすマルソーよりさみしく
     春風刈に夫も大きいてのひら下げ
  
 
金子 晋 (かねこ しん)
 昭和7年(1932) 大阪府生れ。  「鬣TATEGAMI」
 永田耕衣に師事。「琴座」編集人。平成18年「鬣」に同人参加。
 句集:『壷中説』『花骨集』『蟠桃曲』『月下変』ほか 著作:『よみがえった古代の色』『永田耕衣俳句世界』
     蝉の殻箒木までを歩きけり
     冬の蝿前肢をもて夢に附く
     牡丹かな死のわが皮の残りつつ
     朝焼けのしずかなる水盗みけり
     池の底数個のガラス玉寄れる
 
 
亀田虎童子 (かめだ こどうし)
 大正15年(1926) 埼玉県生れ。東京都在住。 「萱」名誉代表。
 瀧 春一に師事。昭和21年「暖流」入会、同人。同誌終刊により平成9年「萱」創刊代表。平成22年名誉代表に。平成2年同人誌「雷魚」創刊発行人。平成25年100号をもって終刊。
 句集:『両端』『百里』『合鍵』『日常』  
     逃げ水を追うて補陀洛まで行くか
     何ひとつ遺さぬ父の籠枕
     攫はれるほどの子ならず七五三
     飢ゑもいくさも寒さも昭和なつかしき 
     水鉄砲無理やり死ねと言はれけり    
 
 
加畑吉男 (かばた よしお)
 大正15年(1926)~昭和46年(1971)44歳。 千葉県生れ。 「若葉」「春嶺」
 富安風生に師事。昭和18年「若葉」初投句。同23年同人となる。昭和41年「春嶺」編集長。若葉新人賞受賞。
 句集:『而立以後』
     稲びかり少女は胸を下に寝る
     夜濯ぎや一つの大き星信じ

 
川名つぎお (かわな つぎお)
 昭和10年(1935) 東京都生れ。 「豈」・「頂点」代表
 多賀芳子に師事。「夢座」を経て「豈」同人。「頂点」継承代表。第2回沖縄忌俳句大会大賞受賞。
 句集:『程』『尋』『豈』

      戦後みどりなす柳屋ポマード
      かの雲をきのこと呼べば歩きやすし
      沖縄はずっと立ち泳ぎのままだ
      虫しぐれ読みたいものを書いている
 
 
神生彩史 (かみお さいし)
 明治44年(1911)~昭和41年(1966)54歳。 東京生れ。三重県在住。
 日野草城に師事。一貫して新興俳句の系譜を歩む。「旗艦」「琥珀」編集同人。「青玄」のち「俳句評諭」同人。昭和23年「白堊」を創刊主宰。現代俳句協会原始会員。中部日本俳句作家会講師。※旧制神港商業(現神戸市立神港高校)出身
 句集:『深淵』『故園』『神生彩史定本句集』
     秋の昼ぼろんぼろんと艀ども
     貞操や柱にかくれかがやけり
     抽斗の国旗しづかにはためける
     荒縄で縛るや氷解けはじむ
     男女睡るあたりの草を焼き払ひ
     獲物へ急ぐ先頭の蟻叫びをり
 
 
河東碧梧桐 (かわひがし へきごとう)
 明治6年(1873)~昭和12年(1937)63歳。 愛媛県生れ。
 子規没後、一時俳壇は碧梧桐をもって代表されるほどの新傾向ムードを迎えた。しかしその期間は短く、自由律、ルビ俳句へと変化し俳句を近代詩の一形式と考え、17音定型や季題を放棄した。
 句集:『碧梧桐全句集』  著作:『河東碧梧桐全集全18巻』
     赤い椿白い椿と落ちにけり
     思はずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇
     曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ
 
 
片山桃史 (かたやま とうし)
 大正元年(1912)~昭和19年(1944) 31歳。兵庫県生まれ。
 旧制中学時代より句作。西山泊雲に師事。秋桜子、誓子、草城に学ぶ。昭和10年23歳の時 、草城の「旗艦」に主要同人として参加。 戦地東部ニューギニアにて戦死。
 句集:『北方兵団』
     雨はよし想出の女みな横顔
     夕寒く君が担架はガタンと地に
     旗すすむ敗残兵は地に凍え
     兵隊の街に雪ふり手紙くる
     千人針はづして母よ湯が熱き   
 
 
梶山千鶴子 (かじやま ちずこ)
 大正14年(1925)~平成25年(2013)88歳。 京都生れ。 「きりん」主宰
 多田裕計に師事。「京鹿子」を経て「れもん」同人。主力作家として活躍した。のち波多野爽波の「青」に同人参加。昭和63年「きりん」創刊主宰。※旧制京都府立第二高女出身。
 句集:『国境』『濤の花』『一の矢』『一人芝居』『鬼は外』『結』『墨流し』『梶山千鶴子全句集』ほか
     梅雨川の滔滔たるや名代餅
     太幹に貼りつく雪や男来る
     寒紅や座敷の下は高瀬川
 
 
金箱戈止夫 (かねばこ かしお)
 昭和3年(1928)長野県生。広島県在住。 「壺」継承主宰
 学生時代、加藤楸邨に師事。のち斎藤玄を知り「壺」に入会。編集長を努め4代目主宰を継承。
 句集:『花さびた』『朱櫻』『扁舟』『梨の花』『梨の花以後』
     蜘蛛の網や骸も負ひし露の玉
     凍鶴のなほそよがする風切羽
     くやしさに棒となりたる海鼠かな
     雪虫のコバルトほどの愛が欲し
 
 
河合凱夫 (かわい がいふ)
 大正10年(1921)~平成11年(1999)78歳。 埼玉県生れ。 「軸」主宰
 岡安迷子に学ぶ。「桜草」のち「南柯」同人。戦後「東虹」を経て「麥」の同人。昭和42年「軸」創刊、昭和47年主宰。
 句集:『藤の実』『対峠』『飛礫』『草の罠』『河合凱夫全句集』『はればれと』
      蕗煮つまるマラソンの最後尾過ぎ
      猫跳んで春月のこる鬼瓦
      薄明やすこしずつ減る冬の水
      軟禁の月がぐにやぐにやガラス瓶
 
 
金久美智子 (かねひさ みちこ)
 昭和5年(1930) 東京都生れ。 「氷室」主宰
 小林康治に師事。「泉」「林」同人を経て平成4年「氷室」創刊主宰。
 句集:『氷室』『くれなゐ深き』『踏絵』『朱鷺色』ほか
     恋ひとつ氷室に閉ぢて帰りけり
     草市に買ひたるものが胸濡らす
     村百戸寺十二坊青岬     
 
 
川名 大 (かわな はじめ)
 昭和14年(1939) 千葉県生れ。神奈川県在住。 「騎」
 高柳重信に師事。早大俳句研究会に参加。昭和36年「俳句評論」同人。のち「騎」同人。重信編集長「俳句研究」誌上に長く健筆を振るった。第1回TATEGAMI俳句賞受賞。
 著作:『昭和俳句の展開』『新興俳句表現史論攷』『昭和俳句新詩精神の水脈』『現代俳句 上下』『モダン都市と現代俳句』『俳句は文学でありたい』『挑発する俳句 癒す俳句』
      婆美倫(バビロン)健在也蕩児なればなり
      候鳥はや、水無月の水うちて
      藁に藁つんで藁墓地と云ふ習ひ
 
 
角谷昌子(かくたに まさこ)
 昭和29年(1954)東京都生れ。 「未来図」
 鍵和田秞子に師事。昭和62年「未来図」入会。同人。未来図賞受賞。
 句集:『奔流』『源流』『地下水脈』  著作:『山口誓子の100句を詠む』
    アイロンは汽船のかたち鳥曇
    前髪の額に影さす手毬唄
    黒揚羽地下水脈を慕ひをる
    粒ごとの闇を吸ひたり黒葡萄
 
 
柏原眠雨 (かしわばら みんう)
 昭和10年(1935) 東京都生れ。宮城県在住。 「きたごち」 主宰
 沢木欣一に師事。昭和25年神葱雨の「青蝶」入会。昭和54年「風」入会。平成元年「きたごち」創刊主宰。俳人協会顧問。第55回俳人協会賞受賞。
句集:『炎天』『草清水』『露葎』『夕雲雀』 著作;『哲学入門』『風雲月露』 
     花茣蓙やいたこに渡す皺の札
     町ひとつ津波に失せて白日傘
     避難所に回る爪切夕雲雀
     煙突も世界遺産や鰯雲 
   
 
加古宗也 (かこ そうや)
 昭和20年(1945) 愛知県生れ。 「若竹」主宰
 富田うしほ、富田潮児に師事。昭和45年「若竹」入会。編集長を経て、平成2年主宰を継承。第6回日本詩歌句大賞受賞。
句集:『舟水車』『八ッ面山』『花の雨』『加古宗也句集』『茅花渡し』 著作;『定年からの俳句入門』 
     双塔の影りを一つに雁渡し
     最澄の山や消えずの灯の涼し
     葦牙やガラ紡船の名残り杭
     てつちりや徹頭徹尾吉良贔屓

俳句舎の俳人名鑑

0コメント

  • 1000 / 1000