「い」一覧
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い
飯島晴子 (いいじま はるこ)大正10年(1921)~平成12年(2000)79歳。 京都府生れ。神奈川県在住。 「鷹」38歳から能村登四郎の指導を経て「馬酔木」に入る。藤田湘子の「鷹」創刊と共に同人参加。第1回鷹賞・第31回蛇笏賞受賞。※旧制府立京都第一高等女学校出身句集:『蕨手』『朱田』『春の蔵』『八頭』『寒晴』『儚々』『平日』『飯島晴子全句集』泉の底に一本の匙夏了るこれ着ると梟が啼くめくら縞天網は冬の菫の匂かな孔子一行衣服で赭い梨を拭き月光の象番にならぬかといふ八頭いづこより刃を入るるとも螢の夜老い放題に老いんとす寒晴やあはれ舞妓の背の高きさつきから夕立の端にゐるらしき丹田に力を入れて浮いて来い初夢のなかをどんなに走つたやら飯田蛇笏 (いいだ だこつ)明治18年(1885)~昭和37年(1962)77歳。 山梨県生れ。 「雲母」主宰虚子に師事。「ホトトギス」の第1期黄金時代を築く。愛知県で発刊されていた「キララ」の選を依頼されその任に当たる。のち「雲母」と改名し主宰を継ぐ。※旧制京北中学(現京北高校)出身 旧制甲府中学(現県立甲府第一高校)、早大英文科に学ぶ。句集:『山盧集』『霊芝』『山響集』『白嶽』『心像』『春蘭』『雪峡』『家郷の霧』『椿花集』『飯田蛇笏全句集』 著作:『飯田蛇笏集成全7巻』ほか多数。芋の露連山影を正うす極寒の塵もとゞめず岩ふすま雪山を匍ひまはりゐる谺かな流燈や一つにはかにさかのぼるたましひのたとへば秋のほたるかな折りとりてはらりとおもき芒かなくろがねの秋の風鈴鳴りにけりおほつぶの寒卵おく襤褸の上夏真昼死は半眼に人をみる花びらの肉やはらかに落椿寝しづみて老が火を吹く寒の闇地に近く咲きて椿の花おちず飯田龍太 (いいだ りゅうた)大正9年(1920)~平成19年(2007)86歳。 山梨県生れ。飯田蛇笏の四男。蛇笏没後「雲母」を継承主宰するが平成4年自ら終刊を決める。第6回現代俳句協会賞・第20回読売文学賞・日本芸術院賞・恩賜賞受賞。日本芸術院会員。※國學院大国文学科出身句集:『百戸の谿』『童眸』『麓の人』『忘音』『春の道』『山の木』『涼夜』『今昔』『山の影』『遅速』 著作:『無数の目』『思い浮ぶこと』『山居四望』『秀句の風姿』『紺の記憶』『飯田龍太全集全10巻』ほか春の鳶寄りわかれては高みつつ紺絣春月重く出でしかな春すでに高嶺未婚のつばくらめ大寒の一戸もかくれなき故郷高き燕深き廂に少女冷ゆ生前も死後もつめたき箒の柄父母の亡き裏口開いて枯木山一月の川一月の谷の中かたつむり甲斐も信濃も雨のなか白梅のあと紅梅の深空あり黒猫の子のぞろぞろと月夜かな涼風の一塊として男来る池田澄子 (いけだ すみこ)昭和11年(1936) 神奈川県生れ。東京都在住。 「船団」「豈」「面」昭和50年堀井鶏主宰の「群島」入会、同人。同誌廃刊により、私淑していた三橋敏雄に師事。檣の会」「未定」を経て「船団」「豈」「面」同人。第36回現代俳句協会賞・第6回雪梁舎俳句大賞受賞。句集:『空の庭』『いつしか人に生まれて』『ゆく船』『たましいの話』『拝復』『思ってます』 著作:『休むみ似たり』『あさがや草紙』じゃんけんで負けて螢に生まれたの青嵐神社があったので拝む初恋のあとの永生き春満月忘れちゃえ赤紙神風草むす屍前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル人類の旬の土偶のおっぱいよ目覚めるといつも私が居て遺憾石川桂郎 (いしかわ けいろう)明治42年(1909)~昭和50年(1975)66歳。 東京生れ。 「風土」主宰石田波郷のすすめで「鶴」に投句。横光利一に小説を学ぶ。戦後「俳句研究」「俳句」の編集長を務める。「鶴」「馬酔木」同人を経て昭和39年「風土」主宰。第1回俳人協会賞・第25回読売文学賞・第9回蛇笏賞受賞。句集:『含羞』『竹取』「高蘆」『四温』ほか 著作:『剃刀日記』『妻の温泉』『俳人風狂列伝』昼蛙どの畦のどこ曲らうか入学の吾子人前へ押し出だす遠蛙酒の器の水を呑む古酒新酒遠くにありて病みにけり栗飯を子が食ひ散らす散らさせよこけし売るすり膝尼の涼しさよ裏がへる亀思ふべし鳴けるなり石田波郷 (いしだ はきょう)大正2年(1913)~昭和44年(1969)56歳。 愛媛県生れ。東京都在住。 「鶴」主宰水原秋桜子に師事。昭和8年「馬酔木」の最年少同人となり、又編集長を務めた。昭和12年「鶴」創刊。人間探求派の一人。馬酔木賞・第6回読売文学賞・第19回芸術選奨文部大臣賞受賞。※旧制松山中学(現県立松山東高校)出身 明大文藝科に学ぶ句集:『鶴の眼』『風切』『病鴈』『雨覆』『惜命』『春嵐』『酒中花』『酒中花以後』『石田波郷全集全10巻別1巻』ほかバスを待ち大路の春をうたがはずプラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ初蝶や吾が三十の袖袂霜柱俳句は切字響きけり西日中電車のどこか掴み居りはこべらや焦土のいろの雀ども綿虫やそこは屍の出でゆく門霜の墓抱き起されしとき見たりたばしるや鵙叫喚す胸形変(きょうぎょうへん)雪はしづかにゆたかにはやし屍室石原八束 (いしはら やつか)大正八年(1919)~平成10年(1998)78歳。山梨県生れ。東京都在住。 「秋」創刊主宰。父は俳人(第15回蛇笏賞受賞作家)の石原舟月。飯田蛇笏に師事。「雲母」同人.昭和36年「秋」創刊主宰。現代俳句協会幹事長,副会長・俳人協会顧問歴任。第9回現代俳句協会大賞・俳人協会評論賞・第26回芸術選奨文部大臣賞受賞。※中央大大学院出身句集:『秋風琴』『雪稜線』『空の渚』『操守』『高野谿』『黒凍みの道』『断腸花』『薔薇塵』『風信帖』『風霜記』『白夜の旅人』『人とその影』『雁の目隠』『石原八束全句集』『春風琴』 ほか 著作:『飯田蛇笏』『駱駝の瘤にまたがってー三好達治伝』ほか流人墓地寒潮の日のたかかりき原爆地子がかげろふに消えゆけり血を喀いて眼玉のかわく油照り荒海や雪囲(しよがき)のかげのかごめ歌くらがりに歳月を負ふ冬帽子死は春の空の渚に遊ぶべし悪玉が笑へり赫き盆の月石橋秀野 (いしばし ひでの)明治42年(1909)~昭和22年(1948)38歳。奈良県生れ。 「鶴」同人夫は評論家の山本健吉。短歌を与謝野晶子に俳句を虚子に学ぶ.「鶴」に入会,句作に励んだが,戦時の窮乏生活が因で胸を患い早逝した。没後、第1回茅舎賞(現代俳句協会)受賞。※文化学院出身句集:遺句文集『桜濃く』更衣鼻たれ餓鬼のよく育つ短夜の看とり給ふも縁かな裸子をひとり得しのみ礼拝す西日照りいのち無惨にありにけり蝉時雨子は担送車に追ひつけず伊丹公子 ( いたみ きみこ。大正14年(1925)~平成26年(2014)89歳。 高知県生れ・兵庫県在住。 「青群」草城、三樹彦に師事。「青玄」編集長を務めた。夫は伊丹三樹彦氏。 第19回現代俳句協会賞受賞。※旧制県立伊丹高女出身。句集:『メキシコ貝』『陶器天使』『ドリアンの棘』『バースの秋』『機内楽』…『イコン絵師』『私の手紙』『伊丹公子全句集』ほか陶器の天使が売れた 木枯骨董店軍港の黄昏 水仙と鉄匂うメキシコ貝もらう 海賊の眼の少年から伊丹三樹彦 (いたみみ きひこ) *別号:写俳亭大正9年(1920) 兵庫県生れ。 「青群」顧問日野草城に師事。15歳で本気に作句をはじめる。「水明」を経て「旗艦」同人。戦後「まるめろ」「太陽系」を経て草城の「青玄」創刊に参加。のち推されて主宰。文体革命,表記革命を提唱,毀誉褒貶のなかひたすら実作に専念した。健康上の理由で平成18年1月号をもって「青玄」を終刊。第3回現代俳句大賞受賞。現代俳句協会顧問。句集:『仏恋』『人中』『神戸・長崎・欧羅巴』『島 派』『夢見沙羅』『磁針彷徨』『隣人ASIAN』『樹冠』『隣人有彩』『隣人洋島』『巴里パリ』『天竺五大』『ナマステ・ネパーリ』『花仙人』『夢見沙羅』『一存在』『身体髪膚』『伊丹三樹彦全句集』『知見』『当為』『存命』ほか誰がわざや天衣あかるむ花菜など長き夜の楽器かたまりゐて鳴らず大阪やラムネ立ち飲む橋の上古仏より噴き出す千手 遠くでテロ一の夢 二の夢 三の夢にも 沙羅正視され しかも赤シャツで老いてやる一喝は鴉声 わが影 振り返る伊藤敬子 (いとう けいこ)昭和10年(1935) 愛知県生れ。 「笹」主宰加藤かけいに師事。昭和26年高校時代より作句。「環礁」同人。昭和55年「笹」創刊主宰。昭和41年環礁賞・昭和54年新美南吉文学賞・平成12年愛知県芸術文化選奨・第1回山本健吉文学賞受賞。鈴木花蓑研究により文学博士。句集:『光の束』『螺鈿の道』『尾州』『四間道』『蓬左』『菱結』『鳴海しぼり』『日付変更線』『存問』『百景』『象牙の花』『山廬風韻』ほか 著作:『写生の鬼ー俳人鈴木花蓑』ほか星座多彩わが十代の果てんとすくちなしの強烈にして語尾を噛む秋天に雲母ひろがるダビデの詩白牡丹星辰めぐりはじめけり遠野火は天平のいろ白毫寺徒歩ゆくや花野の絵巻巻くごとし岩城久治 (いわき ひさぢ)昭和15年(1940) 京都府生れ。「参」主宰・「鼎座」代表・「晨」「紫微」水原秋桜子、桂樟蹊子に師事。高校2年から俳句を始める。「紫微」「晨」同人。「参」創刊主宰。句集:『冬債感』『春暉』『秋謐』『炫鳥』『冬焉』はじめなかをはり一切大文字死は大いなる私事さくらさくらかなしら梅の蕪村芭蕉の枯野から宗祇芭蕉蕪村世にふる時雨かな茨木和生 (いばらぎ かずお)昭和14年(1939) 奈良県生。 「運河」主宰・「紫薇」「晨」右城暮石に師事。「運河」編集長を努め、のち主宰を継承。また「天狼」にも投句。第41回俳人協会賞・第11回俳人協会評論賞・第31回詩歌文学館賞・第9回小野市詩歌文学賞受賞.句集:『木の国』『遠つ川』『野迫川』『丹生』『三輪崎』『倭』『往馬』『畳薦』『淀』『椣原』『山椒魚』『薬喰』『熊樫』『真鳥』『潤』 著作:『季語を生きる』ほか傷舐めて母は全能桃の花水替の鯉を盥に山櫻のめといふ魚のぬめりも春めける正月の地べたを使ふ遊びかな畳薦平群の若菜摘みにけり年の暮採餌に真鳥飛び来たり岩田由美 (いわた ゆみ)昭和36年(1961) 岡山県生れ。神奈川県在住。 「藍生」「秀」波多野爽波、黒田杏子に師事。「青」入会、のち「藍生」に入会。夫は俳人の岸本尚毅。第1回藍生賞・第35回角川俳句賞・第34回俳人協会新人賞受賞。句集:『春望』『夏安』『花束』『雲なつかし』校長の机の上の夏帽子乳呑子は腕に吸ひつく豊の秋夏館古き時計を疑はず蟇交む似たやうな顔うち重ね亡き人の香水使ふたびに減る五十嵐研三 (いがらし けんぞう)大正7年(1918) 福島県生れ。三重県在住。 「海程」昭和10年「土上」に投句。昭和14年「青玄」入会。「青玄」「営」同人。のち「頂点」「海程」同人。「橋」代表を務めた。第3回青玄賞受賞。句集:『北窪村』『三瀬谷村』『櫛田村』下へ尖つた氷柱ばつかし北窪村鉛のくらさでこぼれた活字はぼくが拾う鳩らばさばさと翔つ集団の悪しき音難民キャンプ入口だけが見えている大根洗う百人対岸のところにおり井沢唯夫 (いざわ ただお)大正8年(1919)~昭和63年(1988)69歳。 大阪府生れ。三鬼門。戦後「雷光」「頂点」などの同人。昭和55年「聚」創刊代表同人。第3回頂点賞・第23回現代俳句協会賞受賞。句集:『野に葬る』『紅型』『点滅』ほか髯を剃る自由な右手櫻の中眠るとき夜光の計器人民ら胸の沖縄集団で立つ青岬掌にふかき弾のかげりや男舞石 寒太 (いし かんた)昭和18年(1943) 静岡県生れ。埼玉県在住。旧俳名:石倉昌治 「炎環」主宰加藤楸邨に師事。昭和45年「寒雷」に入会,編集同人。平成元年「炎環」創刊.雑誌「俳句あるふぁ」編集長。句集:『あるき神』『炎環』『翔』『夢の浮橋』『生還す』『以後』『風韻』 著作:『山頭火』『宮沢賢治』『茂吉の山河』ほか多数かろき子は月にあづけむ肩車死なばこの重き大地よ曼珠沙華冬蜘蛛の姙りてゐし尼の墓さくらんぼルオーの昏きをんなたち葉桜のまつただ中へ生還す石田勝彦(いしだ かつひこ)大正9年(1920)~平成16年(2004)83歳。 北海道生れ。東京都在住。 「泉」波郷の「鶴」に参加同人。「泉」創刊に参加,編集長,同人代表。第39回俳人協会賞受賞。※國學院大出身句集:『雙杵』『百千』『秋興』『鴎』『秋興以後』遅れたる足を引寄せ蟇冴え返るとは取り落とすものの音山々の高くぞありし雑煮かな放られし独楽の立ちたる氷かな振り上ぐる杵より飛びし餅の切れ石田郷子 (いしだ きょうこ)昭和33年(1958) 東京都生れ。埼玉県在住。 「椋」代表・「星の木」「件」山田みづえに師事。昭和61年「木語」入会。同人を経て平成16年「椋」創刊。父は俳人の石田勝彦。平成20年「星の木」創刊同人。第20回俳人協会新人賞受賞。句集:『秋の顔』『木の名前』『草の王』背泳ぎの空のだんだんおそろしく春の山たたいてここへ坐れよと掌をあてて言ふ木の名前冬はじめさへづりのだんだん吾を容れにけりうごかざる一点がわれ青嵐石牟礼道子(いしむれ みちこ)昭和2年(1927)~平成30年(2018)90歳。 熊本県生れ。詩人・作家。昭和33年詩人、谷川雁主宰の「サークル村」に参加し本格的な文学活動を開始する。俳句は穴井太「天籟通信」に関わったのがきっかけで始めた。マグサイサイ賞・紫式部文学賞・朝日賞・芸術選奨文部科学大臣賞・エイボン女性大賞・第32回現代詩花椿賞・第15回俳句四季大賞・第14回鬣TATEGAMI俳句賞受賞。句集:『天』『石牟礼道子全句集―泣きなが原』 著作:『苦海浄土』『石牟礼道子全集 不知火』全17巻別巻1 『魂の秘境から』ほか多数。祈るべき天とおもえど天の病むさくらさくらわが不知火はひかり凪花ふぶき生死のはては知らざりきおもかげや泣きなが原の夕茜毒死列島身悶えしつつ野辺の花泉田秋硯 (いずた しゅうけん)大正13年(1926)~平成26年(2014)88歳。 島根県生れ。兵庫県在住。 「苑」主宰桂樟蹊子に師事。「学苑」を経て「霜林」同人。平成6年「苑」創刊。※京都大学工学部出身。句集:『春の輪舞』『苑』『薔薇の緊張』『 』『宝塚より』『月に逢ふ』『鳥への進化』『黄色い風』『ニ重唱』『サハラの星座』ほか百年のグリコ快走さくら咲く障子貼つて中仙道と紙一重田を植ゑて生れし一句を水に書く磯貝碧蹄館 (いそがい へきていかん)大正13年(1924)~平成25年(2013)89歳。 東京生れ。埼玉県在住。「海流」「感動律」などの同人を経て昭和29年、中村草田男に師事。昭和49年「握手」創刊主宰。平成24年終刊。現代俳句協会会員。第6回角川俳句賞・第6回俳人協会賞・第5回雪梁舎俳句大賞特別賞受賞。句集:『握手』『神のくるぶし』『生還』『花粉童子』『猫神』『道化』『絶海』『眼奥』『馬頭琴』『未哭微笑』 著作:『俳句の基礎知識ー技法と鑑賞』『秀句誕生の鍵』その他南瓜煮てやろ泣く子へ父の拳やろ白魚の滑りゆく喉不問に付す銀化する貝のまどろみ花氷喜雨の尖端肺ごと走る郵便夫ロボットの腋より火花野分立つ伊藤白潮 (いとう はくちょう)大正15年(1926)~平成20年(2008)81歳。 千葉県生れ。 「鴫」主宰田中午次郎の「鴫」同人。午次郎没後3周忌を機に有志と「鴫」を復刊する。第1回鴫賞受賞。※旧制千葉青年師範学校(のちの千葉大教育学部)出身句集:『卍』『在家』『夢幻能』『ちろりに過ぐる』『生きめやも』『游』ほか梅干しの一個口にす落ち込むな道元のつむりほどなる瓜冷やす海鞘食べて縄文貌をとり戻す風邪うつしうつされわれら聖家族石川雷児 (いしかわ らいじ)昭和11年(1936)~昭和48年(1973)37歳。 栃木県生れ。 「雲母」飯田龍太に師事。昭和31年「雲母」入会、同人。「雲母」の中堅として期待されていた。第8回雲母賞受賞。句集:遺句集『夏樫』冬の馬美貌くまなく睡りをり源流の村木枯もうすみどりおぼろ夜や紺を長子の色となし八月は見ずに九月の螢かな鶏頭の種子曇りをり山に雪稲畑汀子 (いなはた ていこ)昭和6年(1931) 神奈川県生れ。兵庫県在住。 「ホトトギス」名誉主宰祖父虚子、父年尾に俳句を学ぶ.「ホトトギス」を継承主宰。平成25年10月主宰を長男に譲る。昭和62年日本伝統俳句協会を設立し会長に就任。平成7年兵庫県文化賞受賞。句集:『汀子句集』『汀子第二句集』『汀子第三句集』『障子明り』『さゆらぎ』ほか落椿とはとつぜんに華やげる一枚の障子明かりに伎芸天お降りの音ともならず光けり惜しげなき落花を誘ふ風となる人日の日もて終りし昭和かな稲畑廣太郎 (いなはた こうたろう)昭和32年(1957) 兵庫県生れ。東京在住。 「ホトトギス」主宰母は稲畑汀子。「ホトトギス」編集長。平成25年主宰を継承する。句集:『廣太郎句集』『半分』『八分の六』『玉箒』柏餅ほんまに一年生かいなおいでやす大根がよう煮えとりまAランチアイスコーヒー付けますか今井杏太郎 (いまい きょうたろう)昭和3年(1928)~平成24年(2012)84歳。 千葉県生れ。石塚友二に師事。昭和44年「鶴」入会。同人。平成9年「魚座」創刊主宰。平成18年12月「魚座」終刊。第40回俳人協会賞受賞。句集:『麥稈帽子』『通草葛』『海鳴り星』『海の岬』『風の吹くころ』『今井杏太郎全句集』初空のなんにもなくて美しき数珠玉やきのふのやうに風が吹き湯豆腐に匂ひあり湯のやうにあり空蝉の泣くといふ夜の恐ろしや金餓鬼となりしか蚊帳につぶやける今井千鶴子(いまい ちずこ)昭和3年(1928) 東京都生れ。 「ホトトギス」「玉藻」「珊」虚子,立子に師事。母は俳人の今井つる女(虚子の姪)。「玉藻」「ホトトギス」同人。虚子伝承派の中心俳人として簡明直截な俳句で連衆のお手本となっているか。句集:『帰京』『吾子』『梅丘』『花の日々』この暑いのになぜ道を掘り返す手袋の守衛たいくつ体操す今日のこと今日のハンカチ洗ひつつ色鳥や小学生は学校へ岩淵喜代子(いわぶち きよこ)昭和11年(1936) 東京都生れ。 「ににん」代表原裕に師事.「鹿火屋」同人。川崎展宏の「貂」創刊同人。同人誌「ににん」発行。第1回俳句四季大賞・第41回埼玉文芸賞・第39回俳人協会評論賞・第13回鬣TATEGAMI俳句賞・第33回詩歌文学館賞受賞。句集:『朝の椅子』『蛍袋に灯をともす』『硝子の仲間』『嘘のやう影のやう』『白雁』『穀象』 著作:『頂上の石鼎』『二冊の「鹿火屋」ー原石鼎の憧憬』夕暮は鯔(ぼら)の海なり手をつなぐ蝙蝠やうしろの正面おもひだす角のなき鹿も角あるごとくゆく雫する水着絞れば小鳥ほど逢ひたくて蛍袋に灯をともす藺草慶子 (いぐさ けいこ)昭和34年(1959) 東京都生れ。 「秀」「星の木」山口青邨に師事。 「夏草」を経て「屋根」同人.「藍生」会員を経て「星の木」同人。「秀」所属。第20回俳人協会新人賞・第4回星野立子賞受賞。句集:『鶴の邑』『野の琴』『遠き木』『櫻翳』春障子あまたざわめくものの影押し寄せて来ておそろしき流し雛百年は死者にみじかし柿の花寒き世を人は生まれて笑ふなり十人の僧立ち上がる牡丹かな井沢正江(いざわ まさえ)大正10年(1921)~平成20年(2008)86歳。 台湾生れ。東京都在住。皆吉爽雨に師事。昭和22年「雪解」に入会。編集,発行全般にたずさわる。第1回雪解賞受賞。爽雨の没後主宰を継承。*旧制台南第一高等女学校出身句集:『火欅』『一身』『晩蝉』『井沢正江集』『湖の伝説』『路地の空』天心の月の左右なる去年今年河豚食ひし顔が屏風の上にのる送り火のほのほの丈をほとけとす石井峰夫(いしい みねお)昭和5年(1930)~平成8年(1997)67歳。広島県生れ。兵庫県在住。 「琴座」「俳句評論」永田耕衣に師事。「馬酔木」を経て「琴座」,「俳句評論」同人。※尾道商高出身。石めくるそのなまめかしさを夜へ骸骨に照らしをかける桜かな魚炒るや泥絵の夢の春の山石嶌 岳 (いしじま がく)昭和32年(1957) 東京都生まれ。 「雪解」・ 「嘉祥」代表。皆吉爽雨、井沢正江に師事。昭和54年「雪解」に入会。平成19年「嘉祥」創刊代表。雪解新人賞・第30回俳人協会新人賞受賞。句集:『岳』『虎月』『嘉祥』落雁をくだく口中冬ざるる梟の闇嘗めてゐるやうなこゑはればれと老いる鶯鳴くからに石田あき子(いしだ あきこ)大正4年(1915)~昭和50年(1975)59歳。 埼玉県生れ。東京都在住。 「鶴」夫は石田波郷。波郷に師事。「鶴」・「馬酔木」同人。馬酔木新人賞・第17回馬酔木新樹賞・第10回俳人協会賞受賞。*旧制大妻高女出身句集:『見舞籠』単帯ゆるやかにしてさからはず夫見舞ふ手籠の隙に煮染華ひとたびは夫帰り来よ曼珠沙華石橋辰之助(いしばし たつのすけ) *旧俳号 :竹桜子明治42年(1909)~昭和23年(1948)39歳。 東京生。馬酔木」の三石といわれ山岳俳句に独自の境地を拓いた。のち「馬酔木」を去り新興俳句運動に参加。「京大俳句」を経て、三鬼らと「天香」創刊。不当な俳句弾圧事件に連座した。戦後、新俳句人連盟委員長。句集:『山行』『山岳画』『家』『山暦』『妻子』『定本石橋辰之助句集』朝焼の雲海尾根を溢れ落つ霧ふかき積石(ケルン)に触る丶さびしさよ樹氷林むらさき湧きて日蘭けたり白日の夏炉が天にちかく焚くみんな駄目寝ても妻子がかぶさり来る糸 大八 (いと だいはち)昭和12年(1937)~平成24年(2012)74歳。 北海道生れ。東京都在住。*画家 「握手」「円錐」磯貝碧啼館に師事。昭和49年「握手」創刊同人、同人会長。平成5年「円錐」に参加。第11回「俳句研究」50句競作入選(1位)。句集:『青鱗集』『蛮朱』『白桃』ゆつくりと羽毛おちくる昼の火事夏痩せて黴のたぐひを喰らひをり永き日の睡魔にまさる朋ありや蓮根を掘りたる他はみなまぼろし手拭の端を噛みたる鰍かな伊藤通明 (いとう みちあき)昭和10年(1935)~平成27年(2015)79歳。 福岡県生れ。 「白桃」主宰安住敦に師事。大学時代から俳句を始める。当時は新興俳句系の作家に傾倒。「春燈」同人。昭和37年同人誌「裸足」創刊編集。のち「白桃」と改め主宰。第22回角川俳句賞・第4回俳人協会新人賞・第8回福岡市文学賞・第48回俳人協会賞・第9回山本健吉文学賞・第38回福岡市文化賞受賞。※西南学院大学文学部英文学科出身。句集:『白桃』『西国』『蓬莱』『荒神』桃食べて口のまはりをさびしめりうつむける祭の馬を見たるのみどくだみの辺りの暗さいつも同じとりかぶと夜伽の紐の前結び大夕立この世をかくしてしまひけり稲垣きくの (いながき きくの)明治39年(1906)~昭和62年(1987)81歳。 神奈川県生れ。大場白水郎の「春蘭」を経て「春燈」に参加。久保田万太郎、安住敦に師事。鈴木真砂女とともに「春燈」の代表的女流。第6回俳人協会賞受賞。句集:『榧の実』『冬涛』『冬涛以後』『花野』 著作:『古日傘』白日傘われからひとを捨てしかな冬濤に捨てたきものの捨て切れず滝の音よろけて掴む男の手相触れし人もこの身も秋遍路春浅く海女の墓みな海に向き稲葉 直 (いなば ちょく)明治45年(1912)~平成11年(1999)86歳。 奈良県生れ。西村白雲郷に師事。「未完」編集長を経て、「未完現実」代表。「海程」同人句集:『寒雀』『裸天の彷徨』『喪章』『嘴』『稲葉直全句集』ほか不揃ひの箸の朝飯死者を置きエスカレーターの向き同じ顔俺も死ぬ潮ごうごう松がごうごう睾丸二つ大根おろしの水気たよりにここまで老い井上康明(いのうえ やすあき)昭和27年(1952)山梨県生れ。 「郭公」主宰飯田龍太、広瀬直人に師事。昭和57年「雲母」入会。平成5年「白露」創刊同人。平成25年「郭公」創刊主宰。句集:『四方』『峡谷』雪降つてをり寒鯉の眼に力人とある大黒柱冷やかに立ち上がる人に影ある晩夏かな井上 雪 (いのうえ ゆき)昭和6年(1931)~平成11年(1999)68歳。 石川県生れ。「雪垣」中西舗土に師事。昭和23年「風」入会。同43年中西舗土の「雪解」創刊に参加、編集を担当。のち会長。第12回大宅壮一賞佳作・第19回泉鏡花金沢市民文学賞受賞。*金沢女子専門学園(のち金沢女子短大)出身。句集:『素顔』『白絣』『和光』 著作:『紙の真鯉』寒鮒の盥に強きひとつ星雪椿ほむらの如き夜明けかな笹百合や嫁といふ名を失ひし伊吹夏生 (いぶき かせい)昭和10年(1935)~平成22年(2010)75才。 岐阜県生れ。 「翼座」代表小川双々子に師事。中学時代から作句。昭和31年「麦」入会。昭和42年「海程」入会。昭和52年「地表」入会。同人。編集長を務めた。平成20年「翼座」創刊代表。昭和50年中部日本俳句作家会賞・第8回地表賞受賞。烈といへるひと刈田よりとほき人夭折のたれかふきのたう見えて平野びと苗代に来て礼をなす魂に触れむとかきつばたに入りぬ不意に翔つ<時>の揚羽と思ひけり今井 聖 (いまい せい)昭和25年(1950) 新潟県生れ。神奈川県在住。 「街」主宰加藤楸邨に師事。昭和46年「寒雷」入会、編集同人を経て平成8年「街」創刊主宰.第32回俳人協会評論賞受賞。句集:『北限』『谷間の家具』『バーベルに月乗せて』夕焼けのホースたどれば必ず父やはらかき母にぶつかる蚊帳の中魚篭(びく)の中しづかになりぬ月見草鳥帰るいづこの窓も真顔見え向日葵の蕊焼かれたる地図のごと今坂柳二 (いまさか りゅうじ)昭和5年(1930)埼玉県生まれ。 「つばさ」代表「野火」にて篠田悌二郎に師事。「つばさ」創刊代表。かの50句競作第2回1位入選の実力者。元狭山市史編纂委員。スポーツ俳句という新しいジャンルを開拓。句集:『旧高麗郡篠井村史』『鈍足神追走記』『今坂柳二スポーツ俳句全集全5巻(『俳走記』『白球論』『遊走録』『棒球譚』『走春賦』』)おやゆびのゆるびしこぶしはなこぶし大露や征立つごとく父は起つ大根洗ひほどけてをれば縄束子走者われら秋茄子の曲線の上枯太陽枯老人宙を走る今瀬剛一 (いませ ごういち)昭和11年(1936) 茨城県生れ。 「対岸」主宰青邨、登四郎に師事。昭和36年「夏草」入会.のち「鷹」に投句。「沖」創刊ともに入会。昭和61年「対岸」創刊。第3回沖賞。第47回俳人協会賞受賞。句集:『約束』『週末』『高音』『仲間』『大祖』『定本対岸』『山河遊吟』『新船』『水戸』『地力』かまつかや末期(まつご)の息は吸ひしまましつかりと見ておけと瀧凍りけり雪嶺の裏側まつかかも知れぬ紅梅は水戸の血の色咲きにけり蒲公英や瓦礫の中のぬひぐるみ今村妙子 (いまむら たえこ)昭和26年(195) 神奈川県生まれ。「未来図」大橋桜坡子に師事。昭和37年「雨月」入会。同人。第13回俳壇賞受賞句集:『遊び舟』『香水瓶』『稚児人形』終戦日夕餉の椀に貝の砂遊び舟孤島のごとき未来都市鉾揺れて稚児人形の固き揺れ人声の空へ抜けたる枯木山岩下四十雀 (いわした しじゅうから)大正2年(1913)~平成18年(2006)92才。 東京都生れ。 「季節」川端茅舎に師事。のち金尾梅の門に師事。「季節」に入会、編集長を努める。 第46回現代俳句協会賞受賞.句集:『長考』『観面』老躰に打つ天瓜粉かむさびて藁ぼつちつらぬく棒のこころざし鯉の指吸わせ緑陰にくからぬ霊園はいやや草葉の陰がええ石塚友二 (いしづか ゆうじ)明治39年(1906)~昭和61年(1986)79歳没。 新潟県生れ。神奈川県在住。横光利一に小説を学ぶ。俳句は零余子の「枯野」に投句。のち「馬酔木」に学び波郷の「鶴」創刊に参加。以後波郷と行動を共にする。波郷没後「鶴」主宰を継承。池谷信三郎賞受賞。句集:『方寸虚実』『磯風』『光塵』『曠日』『磊 集』『玉縄抄』ほか炎天を行くやうしろは死者ばかりあめんのひとひら肉の冬しんしん茗荷竹四五本ながら伸びゐたり岩田禮仁 (いわた れいじ)昭和18年(1943) 愛知県生れ。高校時代から小川双々子に師事。「天狼」「地表」に入会。元「俳句評論」同人・「地表」同人。昭和51年度中部日本俳句作家会賞・第36回日本作詞大賞新人賞佳作受賞。頭くろぐろおとこ生れる朝ぐもりふりむきざまの冬の人骨の人父たちの手ぬぐい吹かれる空稲架や黄落に身をまかせ生れかはれるか一月八日倉庫の奥でこゑ出せり岩片 仁次 (いわかた じんじ)昭和6年(1931)埼玉県生れ。 「夢幻航海」代表高柳重信に師事。」「薔薇」などを経て昭和33年 「俳句評論」同人参加。昭和59年「騎」同人。昭和61年「夢幻航海」創刊。『高柳重信散文集成全17冊』の編集発行に対して第1回鬣TATEGAMI俳句賞受賞。尚、『高柳重信全句集』の編集に尽力。重信を最も知る人として最適任であった。句集:『死者の書』『夢村大字蝉時雨』『砂塵亭残闕』『逍遥散』『冥球儀』『模糊集』『虚笛集』『亡羊集』 ほか百物語「各々ソノ志ヲ果スコトヲ得ズ」と 百*風いちまいを掴みし片手踊りかな岩村 蓬 (いわむら よもぎ)大正11年(1922)~平成12年(2000)78歳。東京都生まれ。 「草苑」中島斌雄に師事。 「麦」の編集に携った。「狩」を経て「草苑」に参加。俳句研究第8回五十句競作で入選(1位)を果たす。第3回以来5年間入選者なしが続いていた。句集:『遊歩』ほか 著作:『鮎と蜉蝣の時』ほかまんさくや小野を名乗りて猿回し物の怪も転ぶ雨月のぬた場かな消ぬがてに昼の月浮く馬捨場群狼の往きて還らぬ朧かな沢蟹も蜘蛛も影濃き十三夜五十嵐播水 (いがらし ばんすい)明治32年(1899)~平成12年(2000) 兵庫県生れ。「九年母」主宰 「京鹿子」同人参加。「京大俳句」顧問。「ホトトギス」同人。「九年母」創刊主宰。兵庫県文化賞・神戸市文化賞受賞。医学博士。※旧制三高・京都帝大医学部出身句集:『播水句集』『月魄』『埠頭』『石蕗の花』『老鴬』『秋燕』ほか大試験今終りたる比叡かな清水の舞台の上の雪達磨初暦めくれば月日流れそむ伊藤伊那男(いとう いなお)昭和24年(1949)長野県生れ。東京都在住。 「銀漢」主宰・「春耕」皆川盤水に師事。昭和57年「春耕」入会。のち編集長を務める。平成23年「銀漢」創刊、主宰。第22回俳人協会新人賞受賞。句集:『銀漢』『知命なほ』『然々(しかじか)と』まだ逃げるつもりの土用鰻かな粗組みのあとこまごまと鴉の巣足早な竜馬の国の夕立かな妻と会ふためのまなぶた日向ぼこ退院の一歩はこべら踏みにけり井上弘美 (いのうえ ひろみ)昭和28年(1953)京都生れ。東京都在住。 「汀」主宰・「泉」関戸靖子に師事(昭和59年)。「泉」同人。「聲」会員代表。平成24年「汀」創刊。第26回俳人協会新人賞受賞。句集:『風の事典』『あをぞら』『汀』『顔見世』屍の体位となりし霜のヨガ夏料理ましろき紙のかぶせある霜の夜の起して結ぶ死者の帯び母の死のととのつてゆく夜の雪鉾立ちて余りし縄の匂ひけり今井 豊 (いまい ゆたか)昭和37年(1962) 兵庫県生れ。 「藍生」黒田杏子に師事。高校時代から作句。「獏」「歯車」入会。俳句同人誌「流星」創刊。平成2年「藍生」入会。藍生賞・第12回西東三鬼賞受賞。句集:『席捲』『逆鱗』『訣別』『早魂』雲の峰悪意わくわくしてきたり頭の中に無数の定義木の実落つ生も死もこのいちまいの花の闇寒波来る十二神将立ちならび猪俣千代子(いのまた ちよこ)大正11年(1992)~平成26年(2024)92歳。 埼玉県生れ。 「寒雷」「杉」加藤楸邨に師事。昭和27年「楪」入会。昭和33年「寒雷」入会。同人。昭和45年森澄雄の「杉」入会。同人。埼玉文芸賞・埼玉文化賞・寒雷清山賞受賞。句集:『堆朱』『秘色』『螺鈿』『幡羅』『大我井』『八十八夜』野馬追の公達にして緋の母衣を風の盆胡弓は闇にまさびしき武蔵野に明日は初日となる夕日冬の旅楸邨門下よく笑ふ今井肖子 (いまい しょうこ)昭和29年(1954) 神奈川県生れ。 「ホトトギス」稲畑汀子に師事。平成12年より作句。「ホトトギス」入会。同人。16年日本伝統俳句協会賞受賞。句集:『花もまた』花も亦月を照らしてをりにけり次々と今を消えゆく花火かな生駒大祐 (いこま だいすけ)昭和62年(1987) 三重県生れ。 「天為」「オルガン」有馬朗人に師事。平成22年「天為」入会。同人。第3回摂津幸彦記念賞・第5回芝不器男俳句新人賞受賞。足跡の海中に絶え初明り秋燕の記憶薄れて空ばかり六月に生まれて鈴をよく拾ふ
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