あ
阿部完市 (あべ かんいち)
昭和3年(1928)~平成21年(2009)81歳。 東京都生れ。埼玉県在住。 「海程」「未完現実」「件」同人
昭和25年病院の俳句グループで俳句を始める。「青玄」,「未完」などを経て、昭和37年金子兜太の「海程」に同人参加。浦和神経サナトリウム理事長・精神科医。第17回現代俳句協会賞・第3回海程賞・第9回現代俳句大賞受賞。※旧制金沢医大医学専門部(現・金沢大医学部)出身。
句集:『無帽』『絵本の空』『にもつは絵馬』『春日朝歌』『純白諸事』『軽のやまめ』『地動説』『阿部完市俳句集成』『水売』 著作:『俳句幻形』『俳句心景』『絶対本質の俳句論』
少年来る無心に充分に刺すために
ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん
兎がはこぶわが名草の名きれいなり
栃木にいろいろ雨のたましいもいたり
木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど
大傘さして柿の山からみやこへかえる
ぽると海という海がみたくておよぐ
精神はぽつぺんは言うぞぽつぺん
豊旗雲の上に出てよりすろうりい
相原左義長 (あいばら さぎちょう)
大正15年(1926)~平成30年(2018)91歳。 愛媛県生れ。 「虎杖」代表・「海程」
川本臥風主宰「いたどり」で編集を担当した。「虎杖」代表。昭和60年より金子兜太に師事。「海程」同人。第10回加美俳句大賞(スウェデン)・平成21年愛媛県教育文化賞受賞。
句集:『天山』『表白』『地金』ほか
父となら酒も豆腐も冷やでいい
被爆せし身にて戦前戦後なし
ヒロシマに残したま丶の十九の眼
爆心地へ花を届けし少年老ゆ
赤尾恵以 (あかお えい)
昭和5年(1930) 兵庫県生れ。 「渦」主宰
夫は赤尾兜子。母は「天狼」同人の中原冴女。兜子の急逝により昭和56年「渦」を継承。
句集:『マズカル』『秋扇』『春意』『春隣』ほか
オペラ座の序曲始まる秋扇
指揮棒を振り下したる大花野
月に乾杯地球傾きつつ廻る
赤尾兜子 (あかお とうし)
大正14年(1925)~昭和56年(1981)56歳。 兵庫県生れ。 「渦」創刊主宰
俳句は大阪外語時代に始め、岡本圭岳の「火星」に17歳で入会。かたわら「馬酔木」にも投句。京大在学中に「太陽系」の同人に推された。「火山系」「薔薇」の主要同人。昭和30年「坂」創刊。昭和35年「渦」創刊。「俳句評論」創刊同人。第9回現代俳句協会賞・神戸市文化賞・兵庫県文化賞受賞。※京都帝大文学部中国文学科出身
句集:『蛇』『虚像』『歳華集』『玄玄』『稚年記』『』『赤尾兜子全句集』
鉄階にいる蜘蛛智慧をかがやかす
音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢
広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み
毒人参ちぎれて無人寺院映し
戦どこかに深夜水のむ嬰児立つ
瀕死の白鳥古きアジアの菫など
機関車の底まで月明か 馬盥
花から雪へ砧打ちあう境なし
帰り花鶴折るうちに折り殺す
空鬱々さくらは白く走るかな
大雷雨鬱王と会うあさの夢
心中にひらく雪景また鬼景
赤城さかえ (あかぎ さかえ)
明治41年(1908)~昭和42年(1967)58歳。 広島県生れ。
父は藤村 作(東大名誉教授)。東大在学中に共産党の地下運動に参加し自然退学。新俳句人連盟に加入。「寒雷」,「俳句人」同人※旧制山形高校(現山形大学)出身 東大に学ぶ。
句集:『浅蜊の歌』『赤城さかえ句集』『赤城さかえ全集』 著作:『戦後俳句論争史』
秋風やかかと大きく戦後の主婦
霧の夜のさよなら彼に闘志もどれ
咽ぶごと雑木萌えおり多喜二忌以後
渡り鳥幾千の鈴ふらし過ぐ
たんぽぽの黄を挿して愛ず一コップ
秋元不死男 (あきもと ふじお) *旧名 東 京三
明治34年(1901)~昭和52年(1977)75歳。 神奈川県生れ。「氷海」創刊主宰・「天狼」同人
島田青峰に師事。「土上」に参加。西東三鬼らと「天香」を創刊。昭和16年俳句事件で検挙、投獄される。戦後東京三を秋元不死男に改名.三鬼の紹介で私淑する誓子の「天狼」創刊に参加。昭和24年「氷海」を創刊主宰。現代俳句協会や俳人協会の創立に尽くす。第2回蛇笏賞受賞。
句集:『街』『瘤』『万座』『甘露集』ほか 著作:『俳句入門』ほか
寒(さむ)や母地のアセチレン風に欷(な)き
鳥わたるこきこきこきと罐切れば
蝿生れ早や遁走の翅使ふ
吸殻を炎天の影の手が拾ふ
へろへろとワンタンすするクリスマス
すみれ踏みしなやかに行く牛の足
冷されて牛の貫禄しづかなり
ライターの火のポポポポと滝涸るる
蛇消えて唐招待寺裏秋暗し
わが骨を見てゐる鷹と思ひけり」
あざ蓉子(あざ ようこ)
昭和22年(1947) 熊本県生れ。 「花組」主宰・「船団」
昭和54年穴井太の「天籟通信」に入会。「豈」を経て「船団」「花組」。平成2年九州俳句賞・第6回中新田俳句大賞スエーデン賞・第57回現代俳句協会賞受賞
句集:『夢数へ』『ミロの島』『猿楽』『天気雨』
人間へ塩振るあそび桃の花
空海と水蜜桃の天気かな
愛人を水鳥にして帰るかな
春昼に体を入れて立ててをり
月光をずらして箱をしまいけり
安住 敦 (あずみ あつし)
明治40年(1907)~昭和63年(1988)81歳。 東京生れ。 「春燈」主宰。
冨安風生の「若葉」に投句。のち「旗艦」 を経て久保田万太郎の「春燈」に参加。万太郎没後,主宰を継承。俳人協会設立発起人。俳人協会会長歴任。第6回蛇笏賞受賞。
句集:『まづしき饗宴』『古暦』『暦日抄』『午前午後』『柿の木雑唱』『柿の木坂雑唱以後』 著作:『橡の木の陰で』ほか
くちすへばほほづきありぬあはれあはれ
てんと蟲一兵われの死なざりし
ランプ売るひとつランプを霧にともし
しぐるるや駅に西口東口
雁啼くやひとつ机に兄いもと
阿部青鞋 (あべ せいあい)
大正3年(1914)~平成元年(1989)74歳。東京生れ。
渡辺白泉らの「風」に参加。戦時中新興俳句が弾圧されると古典俳諧の研究に没頭した。昭和38年「瓶」創刊。「八幡船」「対流」「羊歯」同人。第30回現代俳句協会賞受賞。
句集:『火門集』『続火門集』『ひとるたま』ほか
梟の目にいつぱいの月夜かな
金屏風立てて咲きたるすみれかな
砂浜が次郎次郎と呼ばれけり
半円をかきおそろしくなりぬ
あんぱんのあんを見て食ふ二月かな
有馬朗人 (ありま あきと)
昭和5年(1930) 大阪府生れ。東京都在住。 「天為」創刊主宰。
山口青邨に師事。昭和25年「夏草」入会。28年同人。高橋沐石と「子午線」を創刊。平成2年「天為」創刊。第7回俳人協会賞・第2回日本詩歌句大賞・平成16年度加藤郁乎賞・第28回詩歌文学館賞・第59回毎日芸術賞・第52回蛇笏賞受賞。国際俳句交流協会長。俳人協会顧問・理学博士・東大名誉教授。専門の原子核物理学では華麗な経歴をもつが省略する。
句集:『母国』『知命』『天為』『耳順』『立志』『不稀』『分光』『流轉』『黙示』
水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も
虹二重(ふたえ)二重のまぶた妻も持つ
草餅を焼く天平の色に焼く
光堂より一筋の雪解水
菜の花や西の遥かにぽるとがる
寝正月命あつての物種ぞ
阿波野青畝 (あわの せいほ)
明治32年(1899)~平成4年(1992)93歳。 奈良県生れ。 「かつらぎ」名誉主宰。
虚子に師事。「ホトトギス」同人。秋桜子、誓子、青邨ともに四Sの一人。昭和4年「かつらぎ」を創刊主宰。のち、森田 峠に主宰を譲る。大阪俳人クラブ会長(初代)歴任。俳人協会顧問。第7回蛇笏賞・大阪芸術賞・第7回詩歌文学館賞など受賞。※旧制畝傍中学(現奈良県立畝傍高校)出身
句集:『万両』『国原』『春の鳶』『紅葉の宴』『甲子園』『旅塵を払ふ』『不勝簪』『あなたこなた』『除夜』『西湖』『宇宙』『一九九三年』『阿波野青畝全句集』
さみだれのあまだればかり浮御堂
葛城の山懐に寝釈迦かな
住吉にすみなす空は花火かな
水澄みて金閣の金さしにけり
水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首
牡丹百二百三百門一つ
月の山大国主命かな
山又山山桜又山桜
隙間風十二神将みな怒る
初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり
青柳志解樹(あおやぎ しげき)
昭和4年(1929) 長野県生れ。東京都在住。 「山暦」創刊主宰。
原コウ子に師事。昭和28年「寒雷」に投句。昭和32年「鹿火屋」に入会。同人を経て昭和54年「山暦」創刊。俳人協会顧問。鹿火屋賞・第32回俳人協会賞・第3回与謝蕪村賞受賞。
句集:『耕牛』『杉山』『山暦』『楢山』『山霊樹魂』『松は松』『麗江』『花顔』『四望』『里山』『冬木の桜』
年惜しむ手紙の束を火に投じ
たんぽぽの絮ふるさとを出奔す
月光へ目覚めて繭の中にあり
月の夜の山煌々と枯るるなり
堂々と老いて冬木の桜かな
赤松蕙子 (あかまつ けいこ)
昭和6年(1931)~平成24年(2012)81歳。 広島県生れ。山口県在住。 「雪解」
皆吉爽雨に師事。女学校時代から俳句を始める。。「雪解」同人会長。第7回雪解賞・第15回俳人協会賞・平成6年山口県選奨(芸術文化功労)受賞。※旧制広島県立第一高女を経て広島有朋高校出身。
句集:『子菩薩』『白亳』『天衣』『散華』『月幽』『海戀』『佩香』
ひろしまの牡蠣の一眼づつ啜る
切手六ペンス落葉の便りして
眠りみなこの世にさめて櫻どき
吊革に千手きらめき原爆忌
穴井 太 (あない ふとし)
昭和元年(1926)~平成9年(1997)71歳。 大分県生れ。福岡県在住。 「天籟通信」主宰・「海程」
横山白虹に師事。昭和29年「自鳴鐘」入会。益田清と「未来派」を創刊。昭和38年「海程」に参加、同人。昭和40年「天籟通信」創刊。第4回海程賞・第20回現代俳句協会賞受賞。※中央大学専門部経済科出身
句集:『鶏と鳩と夕焼けと』『土語』『ゆうひ領』『原郷樹林』ほか
ゆうやけこやけだれもかからぬ草の罠
還らざる者らあつまり夕空焚く
死ぬまで戦後よじれて残る縄の灰
夕焼雀砂あび砂に死の記憶
藁の村へ灯を消しに行く終列車
阿部みどり女 (あべ みどりじょ)
明治19年(1886)~昭和55年(1980)93歳。北海道生れ。東京在住。 「駒草」主宰
虚子に師事。ホトトギス同人。虚子の許可を得て「駒草」を創刊。第12回蛇笏賞受賞。
句集:『笹鳴』『微風』『光陰』『雪嶺』『陽炎』『月下美人』『石蕗』
秋風や石積んだ馬の動かざる
すこやかな五体を没し芒折る
光陰は竹の一節蝸牛
ほうたるに逢はず山河のほのぼのと
九十の端(はした)を忘れ春を待つ
飴山 實 (あめやま みのる)
昭和元年(1926)~平成12年(2000)73歳。 石川県生れ。山口県在住。
沢木欣一の「風」に投句。「風」同人。昭和40年代に無所属。山口大学名誉教授。応用微生物学者。昭和63年「酢酸菌の生化学的研究」で日本農芸化学会功績賞受賞。※旧制四高・京都帝大農学部(農化)出身
句集:『おりいぶ』『少長集』『辛酉小雪』『次の花』『飴山實全句集』 著作:『芝不器男伝』『酢の科学
小鳥死に枯野よく透く籠のこる
釘箱から夕がほの種出してくる
うつくしきあぎととあへり能登時雨
なめくじも夕映えてをり葱の先
滝壺に梅干の種子千沈む
残生やひと日は花を鋤こんで
綾部仁喜 (あやべ じんき)
昭和4年(1926)~平成27年(2015)85歳。 東京都生れ。「泉」顧問
石田波郷に師事.昭和28年「鶴」入会。昭和49年「泉」創刊同人.のち主宰。平成26年主宰を退き顧問就任。第34回俳人協会賞・第23回俳句協会評論賞・第9回俳句四季大賞受賞。※國學院大學出身。
句集:『山王』『撲簡』『寒木』『沈黙』 著作:『山王林だより』
かたくりの花の韋駄天走りかな
祭馬曳くも責むるもほいほいと
いつまでもいつも八月十五日
寒木を寒木として立たしめよ
一本の芒の水を替へにけり
有馬ひろ子 (ありま ひろこ)
昭和4年(1929) 東京都生れ。 「天為」
深川正一郎に学び、山口青邨に師事。有馬朗人と結婚後20年以上句作中断。のち再開して「天為」副主宰を努める。
句集:『ザビエル祭』『ルオーの陽』『アールヌーヴォー』
落葉掻く農婦もマリア子を背負ひ
炎帝を連れて銀座へ乗り込みぬ
底冷えの湖に沈める神話の斧
春雪にピエタのマリア瞼腫れ
安東次男 (あんどう つぐお)
大正8年(1919)~平成14年(2002)82歳。 岡山県生れ。東京都在住。詩人。
楸邨に師事。 第41回芸術選奨文部大臣賞・第12回詩歌文学館賞・第14回読売文学賞(評論)受賞。※旧制三高・東京帝大経済学部出身
句集:『裏山』『昨』『花筧』『流』『安東次男全詩全句集』 著作:『澱河歌の周辺』『芭蕉七部集評釈』ほか
この国を捨てばやとおもふ更衣
蜩といふ名の裏山をいつも持つ
そもそものはじめは紺の絣かな
なかぞらのものともならず烏瓜
花筧椎が本(もと)とは知られけり
安西 篤 (あんざい あつし)
昭和7年(1932) 三重県生れ。東京都在住。 「海程」「西北の森」
金子兜太に師事。梅田桑孤の「胴」同人を経て昭和37年「海程」入会,同人.59年~62年編集長。海程会会長。現代俳句協会顧問。平成3年海程賞・第69回現代俳句協会賞・第17回現代俳句大賞受賞.
句集:『多摩蘭坂』『秋情』『秋の道』『素秋』 著作:評伝『金子兜太』『現代俳句の断想』
多摩蘭坂ぶるんと寒の雲の坂
刎頚の友よ冬日を鶏と歩む
国風(くにぶり)に朱鷺はしらしらかえります
終戦忌皿をねぶれば鹹(しおはゆ)き
秋情(あきごころ)花恋といい鳥愛(お)しといい
秋の道(タオ)百を数える間に暮れる
せりなずなごぎょうはこべら被曝せり
秋尾 敏 (あきお びん)
昭和25年(1950) 埼玉県生れ。「軸」主宰・「吟遊」
父は俳人の河合凱夫。凱夫没後,主宰誌「軸」を継承。第11回現代俳句評論賞受賞
句集:『私の行方』『納まらぬ』『ア・ラ・カルト』『悪の種』 著作:『虚子と「ホトトギス」』『子規の近代』
囀や日本というホームレス
黒揚羽風の隙間に納まらぬ
からない道が分かれる春の山
遠い約束ひまわりに火を貰う
秋澤 猛 (あきざわ たけし)
明治39年(1906)~ 昭和63年(1988)82歳。 秋田県生。「氷壁」主宰
秋元不死男に師事。「馬酔木」などを経て昭和27年「氷海」入会、同人。のち「狩」同人を経て「氷壁」創刊。山形県芸文会議賞・第26回斎藤茂吉賞受賞。
句集:『寒雀』『海猫』ほか
鯉のぼり布の音立て裏日本
吹雪ごうごう「永らくお世話になりました」
豊年や死者にこにこと担がれて
コスモスのむかふ向けるは泣けるなり
浅井一邦 (あさひ かずくに)
昭和18年(1953) 愛知県生れ。
高校時代から小川双々子に師事。元「地表」・「俳句評論」同人・第1回地表賞・昭和46年度中部日本俳句作家会賞(長い歴史をもつこの会ではじめての20代作家の受賞)。
句集:『幻実歌』『風学歌』『火宙歌』『天天小歌』『浅井一邦全句集』
老いの手に水を束ねる晩夏かな
霧をゆく黒衣の下に白衣着て
臍の緒に風乾きゆく秋祭
晴天をかはほりがとぶ骨きれいに
麦秋の遠き一人を手で潰し
雨宮きぬよ (あめみや きぬよ)
昭和13年(1938) 静岡県生れ。神奈川県在住。 「枻」共同代表
殿村菟絲子に師事。昭和46年「万蕾」創刊に参加。同人。平成8年「百磴」創刊主宰。平成25年「百磴」を解散し同人誌「枻」を創刊。橋本栄治と共同代表に就く。
句集:『白妙』『雨後』『水碧』『新居』
影負うてうつし世に立つ雛かな
夕景の見えて来たりし浴衣かな
母が言ふむかしむかしの露けしや
ひとりづつみんな消えたる花野かな
新谷ひろし (あらや ひろし)
昭和5年(1930) 青森県生れ。 「雪天」主宰・「あざみ」
吹田孤蓮に師事。昭和22年「暖鳥」入会、編集長。「あざみ」同人。「暖鳥」継承主宰。平成18年「暖鳥」終刊。新しく「雪天」を創刊。暖鳥賞・第45回青森県文化賞受賞。
句集:『飛礫の歌』『大釈迦峠』『鐘の蝶』『萱生の村』『螢沢』『美貌妻』『砥取山』
下北のものいふ木々よ雪の中
稲妻やにんげん還る土照らす
眼のごとく石乾きをり野火のあと
水餅に唯々諾々と濁りけり
撫子に誘はれ山へ入りたる
相生垣瓜人 (あいおいがき かじん)
明治31年(1898)~昭和60年(1985)86歳。兵庫県生れ。
水原秋桜子に師事。昭和8年「馬酔木」同人。百合山羽公と「海坂」を創刊主宰。馬酔木賞・第10回蛇笏賞受賞。*東京美術学校(現東京芸術大)出身
句集:『微茫集』『明治草』『負暄』『相生垣瓜人全句集』ほか
荒海の秋刀魚を焼けば火も荒ぶ
死に切らぬうちより蟻に運ばるる
黴し物錆びたる物と寂かなり
寒鯉の怫然たるを売買す
芥川龍之介 (あくたがわ りゅうのすけ)*俳号:我鬼・澄江堂
明治25年(1892)~昭和2年(1927)35歳。東京生れ。
はじめホトトギスに投句。すぐ中止して室生犀星、小島政二郎らと作句。又古俳句も学ぶ・句作活動10余年で約560句を残している。《句は虚子に比べられてもよろしく候》と云うほど自信を持っていた。*東京帝大英文学科出身
句集:『澄江堂句集』『芥川龍之介句集』
木がらしや東京の日のありどころ
木がらしや目刺にのこる海の色
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
元日や手を洗ひをる夕ごころ
水洟や鼻の先だけ暮れ残る
赤石憲彦 (あかいし のりひこ)
昭和6年(1931)~平成25年(2013)81歳。 北海道生れ。東京都在住。 「俳句未来同人」代表
「浮標」編集同人.「風涛」同人を経て「俳句未来同人」代表.
句集:『鬼贐』『愛蘭抄Ⅱ』ほか
寒星が溢れ出す間に絵を描けよ
群青の目刺しは母を咥えたり
青山茂根 (あおやま もね)
昭和41年(1966) 茨城県生れ。 東京都在住。 「銀化」「豈」
中原道夫に師事。平成5年より作句。「港」を経て平成10年「銀化」創刊に参加。同人。平成18年「豈」同人。港新人賞・第1回銀化新人賞受賞。
句集:『BABYLON』
最果ての地にも布団干されけり
バビロンへ行かう風信子(ヒヤシンス)咲いたなら
湯豆腐に瓦礫ののこる寧けさよ
明隅礼子 (あけずみ れいこ)
昭和47年(1972) 滋賀県生れ。東京都在住。 「天為」
有馬朗人に師事。平成4年東大学生俳句会入会。平成5年「天為」 入会、同人。夫は俳人の日原傳氏。天為新人賞・第30回俳人協会新人賞受賞。
句集:『星槎』
初御空みづのあふみの揺るぎなし
虫売の黙つて虫を鳴かせけり
鳥渡る子は友の名を書きつらね
相子智恵(あいこ ちえ)
昭和51年(1976)長野県生まれ。東京都在住。 「澤」
小澤實に師事。平成12年「澤」入会。同人。平成15年第3回澤新人賞・第55回角川俳句賞受賞。
句集:『萵苣』
阿修羅三面互ひ見えずよ寒の内
一滴の我一瀑を落ちにけり
焼きし畦踏めばざくざく霜めきぬ
0コメント